佐幾山城 篠山
三田市からR176号で市境界の日出坂を篠山市に入るとR372号線(デカンショ街道)に沿って波多野氏の被官:酒井佐渡守重貞の油井城をはじめ(古森・油井・波賀野・栗栖野・当野・矢代・初田等)酒井党一族の武士団が摂津(阪神・三田方面から西国街道を繋ぐ)・東播磨(小野・社への山陽道を繋ぐ京街道)への玄関口を守備している。R176号”牛ヶ瀬付近”で大きく左カーブする先がJR篠山口。
駅前より国道を挟んで西正面の丘陵上には禄庄城が…南への尾根続きには其の主城:大沢城がある。更に西へ延びる稜線先に”火とぼし山”があり高城山(波多野氏本拠の八上城)や弥十郎ヶ岳・多紀アルプスへと遠望が効く。狭い山頂平坦部は”物見の砦:火とぼし山城から高度を落としながら北へ延びる尾根末端部に佐幾山城が在った。初田酒井党の当主で大沢城に籠った酒井勘四郎は天正6年(1578)八上城攻めの明智光秀軍に抗し、八上城への西玄関口を護っていた若き城将だった。
其の八上城:波多野秀治の義弟となっていたのが油井酒井党:油井城主の二男二階堂秀香。波多野秀治が安土城に連行され殺害された後・残った将兵等との八上籠城戦で落城まで戦った際の守将。明智軍は八上城を包囲する一方で、周辺の支城を一つ一つ落としながら大沢城に迫ります。火とぼし山から北に延び出した尾根末端部に在った佐幾山城(砦)は連郭式縄張りの城だった様ですが?、土砂防災の為か尾根先から大きく崩されて、単郭の小さな砦となって嘗ての縄張りは・完全に削り取られた崖の外・天空に消えた幻の城と化してしまいました。
築城主等城史は不明ですが、城域真下の東山麓には杉本家墓地・杉本稲荷社があり、大沢城主:酒井勘四郎の家臣:杉本山城守与右衛門の持ち城を窺わせます。火とぼし山から尾根先に在った佐幾山城(砦!)への遊歩道も、禄庄城の登城口から八幡神社への下降ルート分岐から、佐幾山城への尾根筋は荒れ・踏み跡さえ見失う程。行き着けても城域の南一部と思える小台地?を残して削り取られて空中に消えて完全消滅した(T_T)/~~~

駅前より国道を挟んで西正面の丘陵上には禄庄城が…南への尾根続きには其の主城:大沢城がある。更に西へ延びる稜線先に”火とぼし山”があり高城山(波多野氏本拠の八上城)や弥十郎ヶ岳・多紀アルプスへと遠望が効く。狭い山頂平坦部は”物見の砦:火とぼし山城から高度を落としながら北へ延びる尾根末端部に佐幾山城が在った。初田酒井党の当主で大沢城に籠った酒井勘四郎は天正6年(1578)八上城攻めの明智光秀軍に抗し、八上城への西玄関口を護っていた若き城将だった。
其の八上城:波多野秀治の義弟となっていたのが油井酒井党:油井城主の二男二階堂秀香。波多野秀治が安土城に連行され殺害された後・残った将兵等との八上籠城戦で落城まで戦った際の守将。明智軍は八上城を包囲する一方で、周辺の支城を一つ一つ落としながら大沢城に迫ります。火とぼし山から北に延び出した尾根末端部に在った佐幾山城(砦)は連郭式縄張りの城だった様ですが?、土砂防災の為か尾根先から大きく崩されて、単郭の小さな砦となって嘗ての縄張りは・完全に削り取られた崖の外・天空に消えた幻の城と化してしまいました。
築城主等城史は不明ですが、城域真下の東山麓には杉本家墓地・杉本稲荷社があり、大沢城主:酒井勘四郎の家臣:杉本山城守与右衛門の持ち城を窺わせます。火とぼし山から尾根先に在った佐幾山城(砦!)への遊歩道も、禄庄城の登城口から八幡神社への下降ルート分岐から、佐幾山城への尾根筋は荒れ・踏み跡さえ見失う程。行き着けても城域の南一部と思える小台地?を残して削り取られて空中に消えて完全消滅した(T_T)/~~~
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