弘浪山 丹波市氷上町

常楽の安全山(丹波の霧海の展望所)山麓の弘浪山高山寺山門に立つと正面に弘浪山を望む。元:此の弘浪山山上に在った高山寺は奈良時代:天平年代・法道仙人により開基、源平の兵乱に焼失したが鎌倉時代:源頼朝により東大寺の俊乗坊重源上人により再興された。しかし建保・承久年間(1213-21)関東から荻野一族が来住すると、土豪や足利氏との交戦に要害の地にある寺は全山が城郭化された高山寺城は度々戦場ともなり「太平記」に登場する鎌倉時代の山城でもありました。天正3年光秀軍にも攻められたが寺としても昭和年代まで存続。しかし山岳寺院へ参詣する厳しさや昭和9年(1934)室戸台風による大被害もあって昭和33年(1958)常楽の現在地に移築された。
  柿柴コースの弘浪山不動尊
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ホームページには弘浪山への登山コースとしては北方の柿柴からを主ルートに紹介しているが、北からのコースは山頂まで眺望が効かない谷筋と植林帯のコース。東・南からは路肩駐車となる為案内は避けているが県道109号からの黒田ルートが道標完備・歩道も整備され展望も楽しめる推奨の尾根コース。山上・高山寺への主参道は北コースと思われるが両コース共に登山口に石碑が立つ。
   高山寺跡の石垣・大銀杏
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県道筋からも見える南稜上の露岩帯には、大雨の後:二条程の”幻の滝”が現れる。展望の岩尾根筋:露岩部に”盗人崩し<座頭崩し>”と呼ばれる場所があり昔:高山寺に押し入った盗人が捕らえられ谷底へ投げ込まれたと云う。東六甲山系の蓬莱峡にも有馬温泉に向かう座頭(盲目の按摩師か琵琶法師か?)が迷い込んだ座頭谷があるが、危険な程の急斜面を高山寺へ座頭も参詣していたかは…知らない。ただ此処から高山寺跡へは水平道<以前は下草に覆われ踏み跡も薄く定かでなかった…>が広い削平地形が拡がる仁王門跡の分岐標識へ続く。
  南尾根(黒田コース)の”盗人崩し”露岩帯から弘浪山を望む
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直進は数段の削平段を越えて柿柴への下山コースだが尾根筋(峠)が弘浪山への登山口。左の削平地は七堂伽藍の跡で石垣積堂宇跡には市指定(昭和60・6・28)天然記念物の大銀杏・西背後には歴代住職らの卵塔・石仏・宝篋印塔が並ぶ。昭和年代まで3-4列の卵塔群等墓地が他にも山中の谷奥・三方を囲まれた中に在ったが、其処にも大きな銀杏が有ったが所在を憶えていず再訪は未。
  柿柴コース(谷筋から尾根筋に向かう分岐)の山門?付近の石積<石段もある>
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高山寺跡(Ca400m)から弘浪山山頂(4等三角点520m)へは、寺跡を横切る最短ルートもあるが比高120mはなかなか厳しい急登だが山頂三角点前へ直接登り着く。関西池田墓地公園の境界を示す鉄の鎖伝いに北ヘ延びる尾根筋には”坊さん落とし岩”の岩場や岩尾根を辿るルートも道標はないが山麓の柿柴や長野へ下りる。


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