傀儡師故跡と西宮神社

常盤町から平松町・安井幼稚園東角でJR東海道本線を潜るまんぼうトンネル(水路として利用されていた溝に板を敷いて通路とされている。職場が大阪市内の玉川や西九条に在った時は、阪神電鉄西宮駅へ出ての私の通勤経路。兵庫南部地震前から遺るマンボウ<詳細は割愛するが、小説「細雪」に一本松(此れも地蔵祠)と共に昔の姿を留めている>を抜け出た所がR2号線産所町交差点。南へ直進する県道193号がR43号(産業道路)と交差する西北側一帯が西宮神社の杜。
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全国の戎神社総本社の西宮神社。此の西宮神社の北(阪神西宮駅西・R2号線迄の一帯)に産所町の地名が残る。産所は散所・算所・三所…等の当字で表されるが天皇・貴族・有力寺社等 :荘園領主の本所に対する呼び名で、 西宮戎神社の散所として当地領主発達してきた集落で、国への租税や賦役・年貢等が免除されたが、代わりに散所の住民らが神事・社務の補助や雑役・祭祀の警備に当たったり、神社に隷属した商工や独自の芸能を営み発展させた。R2号”産所町”から南へR193号が阪神電鉄下を潜る手前西:NTT西日本兵庫支店西宮ビルの東南角に「史蹟傀儡師故址」の碑が立つ。傀儡師等が産所の地に住み祖神と信ずる百太夫を、傀儡師の氏神(守護神)として祀った百太夫神社の跡地と云う。
   西宮神社<西宮戎>
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旧祠は西宮神社境内の本殿西北に遷移されているが、人形浄瑠璃の源と云われる傀儡師”人形操りの発祥地”。
全国に熊野信仰を広めた熊野比丘尼<歌比丘尼>>・伊勢講を組織して伊勢神宮に参拝出来ない人に代わり神楽を奉納した伊勢神楽同様…?、西宮神社が全国の戎神社の総本社として信仰を集め有名になったのは”えびす信仰”を全国に広め「夷廻し・夷かき」とも称された人形を操つる芸能集団傀儡師の活動が大きかった様です。
   西宮神社:赤門と大練塀
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此の産所(散所・三所…)は国家権力が及ばず、地子(租税)等が免除された。荘園領主と散所の住民の間に立ち、領主からは税や賦役・年貢等の特権を、住民からは搾取する散所の長者としては森鴎外の小説山椒太夫(散所太夫)が知られています。原作?が安寿と厨子王…厨子王のモデルは源頼政とも… 
    地図は傀儡師故址  ↓


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