木坂城 綾部市七百石町

木坂城へは綾部JCT(舞鶴若狭道・綾部宮津道路)の高架下を抜ける府道485号線を西に向い府道沿いの高柳山慈眼寺(臨済宗)を目標に走る。
七百石町大釜田のコミュ二テイセンターに綾部JCT近場の名所?簡略案内図が有って、慈眼寺背後の低丘陵には小規模円墳の七百石中山古墳(完存)と木坂城が載せてある。府道485号線を挟んで慈眼寺の南300m程の独立低丘陵上には、先のブログで紹介した甲山城が在り、主曲輪がヒシロ古墳のマウンドを利用したものと思えたが、古墳についての詳細等は割愛する。
  主郭の空堀・櫓台土檀
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此の二城ともに訪城者は極稀れ(殆ど皆無?)で城史に関しても不明。慈眼寺から北に向かう幅狭い車道からは木坂城(標高221m)の在る低丘陵が正面に見える。慈眼寺背後の丘陵西麓から北を捲いて東に向かう林道?は自動車道工事車輌用だけではなく、自動車道隧道を潜ると田圃の中を七百石町・上八田町側へ抜け出た大町谷(茗荷谷?)には茗荷谷城(城館)が在り、慈眼寺からは徒歩15分程?の距離にある。
  南出曲輪からのone続き鞍部の片堀切?
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小坂城への取付きは南へ尾根先を落とす先端部の墓地からが、府道・慈眼寺からも確認出来るので判り易い。墓地から尾根筋を伝う背後に祠が祀られる台地は物見台とおもえる小坂城の出曲輪か?。尾根続き北へは広い緩斜面の上りとなる鞍部の西面に片堀切(自然地形か?)を観る。東面からは慈眼寺からの山道(踏み跡程度だが!!)が上がってきている。
   高い切岸と土塁堀切(北尾根続き)
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雑木を抜けると南曲輪(三ノ曲輪)、暫く進むその上方に主曲輪の切岸が見えると主郭(主曲輪と二ノ曲輪・其の中間部には空堀を廻す櫓台土檀(5‐6㎡程)がある。比高100m以上の山城に空掘を廻す櫓台は珍しく此の城郭最大の特徴?かも。木坂城は此の三曲輪で成る中小規模の城郭だが櫓台土檀を囲む空掘と二ノ曲輪北と東の高い切岸下・曖昧な北尾根と枝尾根続きに二本の土塁堀切がユニークな縄張り。
    土塁堀切(北東の枝尾根側)
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西方の上八田町にある八重坂城(未訪)と共に南側府道が通じる要衝監視と北の志賀郷に抜ける間道の監視にあたった城なのでしょう志賀郷には高屋城を本拠城とする上原氏の浅根山城・志賀氏・吾雀氏の北野城(志賀城)天王山城等上原氏一族のものと思える諸城が点在する。


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