多田構居 西脇市

西脇市黒田庄町黒田に黒田城?関連中世の遺跡や分散地を兵庫県遺跡分布地図に調べてみても、城館跡として黒田構江遺跡の名と伝黒田城及ぶ天狗山への尾根上に黒田城関連の城砦遺構群が点在するだけ?。昨年(2012)は丹波でも福知山市・舞鶴市・亀岡市を主として明智光秀のNHK大河ドラマ化誘致に向け、明智光秀と娘:ガラシャ夫人・其の夫君の父:舞鶴・田辺城主の細川藤孝にスポットをあて、各市がリレーでイベント事業を展開していたが、気がつけば?姫路城主の嫡男としての黒田官兵衛が姫路城修復中の人気?とも重なってかNHKドラマ化(2014年)に決まった様子。
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姫路市を中心に姫路城代だった黒田(小寺)官兵衛のドラマ化に向け活動されてきた様ですが、姫路生まれの生誕地説が疑問視され2-3の生誕地説がある。”官兵衛の里 西脇市”として地元:北播磨黒田官兵衛生誕地の会・西脇市観光協会による多田構居跡との案内板が駐車場側に設置されていた。
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説が最有力視されているの東播磨?(最近は小野市付近から北播磨と呼ぶようですが?)で荘厳寺の案内板にも同会による調査によるものか?、姥ヶ懐遺跡や黒田氏・黒田城関連史跡地図が記されているがキリスト地蔵?は行過ぎかも!!?(高山右近の勧めによるものか入信は1587年・官兵衛も37-8歳の頃で、それも一時期だけ。滅亡した播磨黒田氏一族・遠縁に入信されていた方があったのかは不詳)
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黒田構江遺跡を黒田家居館とも思えレポートしていたが「北播磨黒田官兵衛生誕地の会」により姥ヶ懐遺跡が整備されており、黒田城に麓此処を黒田構居・城主屋敷、黒田構江遺跡を同会の案内板にある多田構居(多田城)と解して過去の遺構名称を改めた。多田構居は黒田庄町鉄筋住宅地建設に伴う発掘調査の際、一帯に幅6m・深さ約4mの堀状遺構や、其れに沿うように柵列の跡も出土。中世後半の須恵器・土師器・陶磁器や硯石等や、掘立柱建物跡が出土している。黒田構居が上屋敷・加古川の傍にある多田構居が黒田氏の下屋敷だったか?。


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