八上城:朝路池 篠山市

山城にとって領有地や街道筋の通行監視・城砦間の通信・連絡手段は必要だが、水(井戸)と兵糧米・武具・武器類の確保・保守管理も最重要項目。山城への登山コース中の山麓や山腹に竹藪を見ると寺跡か?・居館跡か?…と思うが、尾根上に矢竹の密集地をみると曲輪も近いと感じる。竹矢来は勿論・山岳戦に有効な武器の弓矢は消耗品として常に身近に用意しておく必要があったのでしょう。
      尾根筋左肩に土塁線が延びる藏屋敷
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水の手は三方を急斜面の囲まれ其の尾根筋を曲輪群で囲まれ野々垣口・R372号線日置から篠山川に流れ出る谷筋だけが南東に開けて、両サイドの尾根筋には大堀切で尾根を断つ曲輪群・背後の主郭側も本丸から芥丸へと北に延びる尾根上は、本丸北側直ぐ下方には北面を高土塁で囲む蔵屋敷があり、其の下段には水の手を守備する池東上の番所・池東番所がある。更に下る先は尾根沿いに芥丸・藤ノ木口へのルートと野々垣口へのルートに分岐する。芥丸からの尾根先には弓月砦・野々垣口の朝路池に至る谷の入口には安明寺砦等・全山要塞化の八上城砦群がある
  朝路池を囲む丘陵東尾根部の堀切(案内板に竪堀とあるが!?)
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大きく折れて野々垣口への尾根筋を断つ堀切を見る。案内立札には”竪堀”とあるが?堀切を越えて延びる尾根先にも水の手を護る曲輪(野々垣口方面から谷筋を侵攻してくる敵の備え!!)がある。此の”水の手”が城中最大・最重要な広い井戸曲輪内に設けられた石積み井戸の朝路池で井戸曲輪ながら曲輪南端部は野々垣口から谷筋を又・左右の尾根筋を断つ堀切を越え谷筋を駆け登ってくる敵に対して、井戸を死守する最後の砦:弓矢で掃射・迎撃した池東下の番所でもあったよう。  
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八上城落城伝承の悲劇・悲恋・怪奇伝説に加え埋蔵金伝説まで残る城内の朝路池や、落城を前に山城を下り脱出を図った老人・女子・子供等の悲劇は女畷・乙女塚に残る。其の中で無事に脱出出来た波多野甚蔵(波多野秀治の子)は篠山市味間の里に、さらに文保寺に入門し藩政時代(藤井)松平忠国の代官になっている。
   朝路池西尾根(蕪丸からの旧大手道?):池西下の番所?or池西南丸
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八上登山一般ルートから外れるが、寧ろ八上古城の奥谷城(蕪丸)から中枢部の本丸に直接繫がるのが朝路池の西上方の尾根伝い。朝路池のある井戸曲輪東北端へ丘陵上から落ち込む竪堀(堀切)を挟んで堀切下方(南)には広い平坦曲輪の「池西下の番所?か池西南丸」の曲輪群が続き、末端が殿町の奥谷城に達します。
  朝路池西尾根筋・主郭直下”池西の番所”
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尾根を断つ堀切からの尾根続き北西には、二段の広い曲輪段”池西の番所”と其の背後の土塁(櫓台か?)状の先の小曲輪から篠竹藪を突き進み直上すると本丸側に飛び出す。右手寄りに倒木を避けながら朝路池側の斜面を廻り込んで進むと”蔵屋敷”に通じている。


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