城の腰城 豊能1

R372号線(デカンショ街道)は篠山市福住の小野新交差点でR173号に出る。摂津池田市から丹波綾部市を掬ぶR173号線は北方の板坂峠を越え京都府に入る綾部街道・南へは天王坂を越えて大阪府豊能郡能勢町に入る能勢街道・池田街道となる。R173号森上からは府道4号(妙見街道)で名月峠を越え野間峠を越えると同じ豊能郡豊能町に入る。周囲を兵庫県の川辺郡猪名川町・川西市・池田市・箕面市・茨木市・京都府亀岡市南丹市に境して、能勢町と豊能町に独立して自治体をもつところ。
 
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城址を廻っていると城砦の縄張り規模も然ることながら、其の立地位置や状況から・なぜ此の様な処に?と思われる場所に存在する遺構を見ることがある。周囲の諸処国境に隣接し、同じ郡内や市内に在っても、往時の在地勢力や外部勢力との関係等が、ある程度は解らなければ築城主や其の時期・目的等も推察できない!!。
     東曲輪から主曲輪とニノ曲輪を望む(先端部に櫓台土壇と堀切) 
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能勢妙見参道入口の野間峠からR423号に出て余野に着く。切畑口交差点に立つと国道左手奥には余野本城から延びる尾根の末端が余野川に落込みます。右手には小高い丘に建つ府立城山高校(2008年閉校となった)が余野城(幣ノ木城)で、池田から余野へ抜けるR423号沿いの余野街道、高槻・茨木方面から余野を経て亀岡に向かう亀岡街道の要衝(摂丹街道)を見下ろし西の山上に余野本城が在る。
        城の腰城西端の土壇:切岸下は堀切
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余野城とはR423号・余野川を挟んで南約250m程には妙見三山(仮名:天台山・光明山・妙見山)の一・光明山からの枝尾根が余野川に落ち込むが、その先端部(比高20m程)に城の腰城が在る。郷土誌史等による豊能町側の城については余野城と高山城が知られるが詳細は不詳。高山城は高山右近の出生地として有名ですが、城位置を遺構残存状態の悪い高山城(古高山城?)とするものと、府道沿い丘陵部の高山向山城(中世城遺構を遺す)を高山城と記したものもある。能勢氏や野間氏との勢力関連や城砦群・城主等の城史については不詳だが、余野城共に城址よりはキリシタン信仰を通じてその関係が知られる様です。
  東南先端部?の作業道入口部に見る城門(?監視所)状の曲輪台
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余野・高山の城以外に城址が少ない地域の様ですが、以前立ち寄った鳥坂城や此れから向かう城の腰城水牢城【余野本城も水牢城の別名を持つが妙見山に近い三上の単郭城は応仁の乱の敗戦に廃城となった城か?】の城史となると更に不明!!?。城址の存在や遺跡位置は猪名川町や能勢の城址を走破調査されている中世城郭研究家T氏による縄張り図等が参考になる。猪名川のA君とは余野の切畑口近く・コンビニで待合せて向かう城の腰城は余野川を挟んで直ぐ目の前にあった


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