南郷城 丹波市
R175号稲畑の錦橋東詰交差点を左折し正面に白山(後谷山城跡で山麓は赤井野<黒井城主:荻野直政の出生地>)を望みながら県道109号を北上・弘浪山(高山寺城)の東麓を抜けて氷上町成松に入る。成松中央部には葛野(かどの)川を渡る。
主郭に向かう上土塁下流約1.5kmで加古川に流れ出る葛野川沿い県道78号線のたまごかけご飯が名物のかどのの郷前を通る施設とは県道を挟んで北に迫る丘陵上に南郷城がある。南郷城(森山城・長尾城・新庄城)へは当初:達身寺・清住側から杣道を見つけて取り次いたが比高200mの急登は、まだ体力に自信のあったころ!!?だが結構きつかった。
上土塁は空堀状の端の土橋状虎口を通って主郭に入る再訪以降は東麓の氷上西小学校側から。西北角に天満神社が在り、城山山頂には秋葉社の奥の院があり4等三角点(324m)側に石碑が立ち秋葉山とも称される。その秋葉社が登り口の天満神社境内に稲荷社・山之神・内尾神社(遥拝所か?)・高井神社等が合祀され:神社背後から「森山登山東側コース」が
南郷城主郭:サイレン塔と帯曲輪側(西面切岸)山頂まで距離工程表示のある遊歩道が整備されている。更に神社北方から林道が入っており、何れも猪鹿除けゲートを開閉して進む約1kmの遊歩道は中腹で合流し山頂に向かう。山上部の錆びた?サイレン塔のサイレン吹鳴は長年閉ざされているが、再び活躍の場を得て氷上町西部に響き渡る事でしょう。
作業林道コース中の竪堀?山城でサイレン塔の建つ主曲輪付近には曲輪・帯曲輪等、特に北端には上り土塁虎口が形成されており土塁道は空堀端の土橋状を渡って主郭に入る。登山コースの作業林道筋は途中長い竪堀!!?を見る。未確認だが急斜な主郭東北面、この上り土塁虎口付近から粗直線的に落ちているよう。尾根筋に出て鞍部北上には埋れた堀切?を越え広い平坦地形が二つばかり、北端最高所からは激急斜な十九山へ延びる尾根筋からの侵攻や成松方面の監視所だったか?。
主郭からの南尾根端曲輪の東斜面から落ちる竪堀全曲輪内に土塁状の土盛は確認できないが、主郭からの緩斜な南尾根筋の先にも段差は低いが二段の小広い曲輪があり、此処から南東へは急斜面となるが、樹木の間からは眼下の県道筋が覗えるので監視所だったか。なによりも東側斜面を一条の竪堀が落ちる。森山(秋葉山)が城山であること。地元豪族の本庄氏の山城である事は、登山コース・山上にも城址説明は一切ないが、文化財指定を受けていなくとも地元の貴重な文化遺産です。
主郭に向かう上土塁下流約1.5kmで加古川に流れ出る葛野川沿い県道78号線のたまごかけご飯が名物のかどのの郷前を通る施設とは県道を挟んで北に迫る丘陵上に南郷城がある。南郷城(森山城・長尾城・新庄城)へは当初:達身寺・清住側から杣道を見つけて取り次いたが比高200mの急登は、まだ体力に自信のあったころ!!?だが結構きつかった。
上土塁は空堀状の端の土橋状虎口を通って主郭に入る再訪以降は東麓の氷上西小学校側から。西北角に天満神社が在り、城山山頂には秋葉社の奥の院があり4等三角点(324m)側に石碑が立ち秋葉山とも称される。その秋葉社が登り口の天満神社境内に稲荷社・山之神・内尾神社(遥拝所か?)・高井神社等が合祀され:神社背後から「森山登山東側コース」が
南郷城主郭:サイレン塔と帯曲輪側(西面切岸)山頂まで距離工程表示のある遊歩道が整備されている。更に神社北方から林道が入っており、何れも猪鹿除けゲートを開閉して進む約1kmの遊歩道は中腹で合流し山頂に向かう。山上部の錆びた?サイレン塔のサイレン吹鳴は長年閉ざされているが、再び活躍の場を得て氷上町西部に響き渡る事でしょう。
作業林道コース中の竪堀?山城でサイレン塔の建つ主曲輪付近には曲輪・帯曲輪等、特に北端には上り土塁虎口が形成されており土塁道は空堀端の土橋状を渡って主郭に入る。登山コースの作業林道筋は途中長い竪堀!!?を見る。未確認だが急斜な主郭東北面、この上り土塁虎口付近から粗直線的に落ちているよう。尾根筋に出て鞍部北上には埋れた堀切?を越え広い平坦地形が二つばかり、北端最高所からは激急斜な十九山へ延びる尾根筋からの侵攻や成松方面の監視所だったか?。
主郭からの南尾根端曲輪の東斜面から落ちる竪堀全曲輪内に土塁状の土盛は確認できないが、主郭からの緩斜な南尾根筋の先にも段差は低いが二段の小広い曲輪があり、此処から南東へは急斜面となるが、樹木の間からは眼下の県道筋が覗えるので監視所だったか。なによりも東側斜面を一条の竪堀が落ちる。森山(秋葉山)が城山であること。地元豪族の本庄氏の山城である事は、登山コース・山上にも城址説明は一切ないが、文化財指定を受けていなくとも地元の貴重な文化遺産です。
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