行者山(馬背山) Ⅰ 丹波市
行者山~馬背山は高見城山(485m)の直近にありながら断崖・峻険な岩尾根と高低差のある鞍部は激急斜面で尾根が断たれ登山者・山城ファンの対象からも外され取り残された一帯:佐野~馬背山・行者山~萱刈坂へと歩いてみた。
中央に馬背山と最奥は高見城山 篠山から氷上回廊を但馬・出雲に向かう延喜式山陰道も、氷上・柏原から鐘ヶ坂を篠山へ通じる主要道に変わると、北山麓の城下は「佐野」から「鴨野」側に移ります。氷上(丹波市)・天田(福知山市)・何鹿郡(綾部市)の三郡を領し勢力を誇った荻野直正の本拠黒井城の支城として明智光秀に抗した高見城最後の城主:赤井五郎は柏原八幡山城の明智本陣や小南山城山麓へも出撃している。
馬背山の西330m付近から氷上盆地・中央に佐治川(現:加古川)
黒井城が城に繋がる尾根筋に城砦群を築き全山要塞化したように、高見城も同様の城塞を築き:その城砦域は黒井城より広いかも知れない?。黒井城の東出丸・太鼓の段・石踏みの段や三段郭が、高見城にも三ノ丸北東の出曲輪(高見城唯一?の堀切がある)・三ノ丸北西の出曲輪(綺麗に石垣が遺る)・「悠々の森」からの登山道沿いにも段曲輪が…。山道(杣道)でもない?途切れがちの踏み跡を
馬背山最後の登りは幅狭い尾根筋・南面は岩壁・北面も崖三ノ丸北西の出曲輪に向かい・更に急坂を降ると大鞍部に到達する。登り返す急登は”山抜け”の危険な状態の砂地の露盤。下りは更に危険度も増す。その頂部が馬背山(行者山)(役行者を祀る祠があったとも!?・此れより萱刈坂へ下る北尾根上にも、此処から遷された?と思われる行者堂がある)。高見城と呼応する位置にあり、山頂付近から行者堂(此処も砦?)付近まで県遺跡分布図の高見城域に入るが中の台の城(高見城南郭)同様の城砦遺構と思われる
馬背山直下の岩場から望む高見城行者山の東西に3-4段(低土塁も!)・南斜面の数段は切岸を…馬背山城(仮称)の曲輪群をみる。県遺跡分布図の高見城域を外れる二つ岩峰をもつ馬背山には山岳寺院も在ったらしい?が遺る石積は寺ではなく・大岩を抱き込んで一列に並ぶ堡塁そのもの。細い岩尾根・南に絶壁・北も竪堀無用の崖状斜面。背後の馬背山城を護る馬背山堡塁の鉄壁の防備施設に思えます。
馬背山東端の”山抜け”の大鞍部を下る:向かいは高見城山側の北尾根馬背山の堡塁を抜け出て一枚岩岩尾根のリッジ通しは快適なクライム感覚で…
…が南面は基部さえ覗き見る事も出来ない断崖なので北面を捲き西尾根を下る。尾根筋は311mピークを越えて尾根末端部の佐野(氷上南小学校・地元野菜等直売所近くの小峠)に降り立つ。高見城が佐野城と呼ばれていた当初の大手道は矢振神社(高見城に祀られていたが落城で鴨野・稲畑・佐野の三ヶ村に分祀された。稲畑と共に矢降神社に奉納される佐野の三番叟も市の無形文化財だったが、更地なっている神社が再建され再び三番叟が奉納される事を望んでいるのですが…)から谷筋を詰め上がった中ノ台(高見城南郭)を主郭に向かったものか?。
”行者山の砂地尾根:上部に「三ノ丸北西の出曲輪」馬背山城へも佐野からの長い林道終点付近から詰めたと思え、数段の曲輪群も南斜面に集中する。佐野からの尾根通しに岩場の馬背山城堡塁に到達しても、次の馬背山城(仮)から高見城へを遮断する大鞍部の通過は至難。佐野に至る西尾根筋に城砦遺構らしいものは先端部(比高30m)に経6-7m程の物見台状の平坦壇を見かけただけ、谷筋の大手筋入口の監視台であったのかも?。
中央に馬背山と最奥は高見城山 篠山から氷上回廊を但馬・出雲に向かう延喜式山陰道も、氷上・柏原から鐘ヶ坂を篠山へ通じる主要道に変わると、北山麓の城下は「佐野」から「鴨野」側に移ります。氷上(丹波市)・天田(福知山市)・何鹿郡(綾部市)の三郡を領し勢力を誇った荻野直正の本拠黒井城の支城として明智光秀に抗した高見城最後の城主:赤井五郎は柏原八幡山城の明智本陣や小南山城山麓へも出撃している。
馬背山の西330m付近から氷上盆地・中央に佐治川(現:加古川)
黒井城が城に繋がる尾根筋に城砦群を築き全山要塞化したように、高見城も同様の城塞を築き:その城砦域は黒井城より広いかも知れない?。黒井城の東出丸・太鼓の段・石踏みの段や三段郭が、高見城にも三ノ丸北東の出曲輪(高見城唯一?の堀切がある)・三ノ丸北西の出曲輪(綺麗に石垣が遺る)・「悠々の森」からの登山道沿いにも段曲輪が…。山道(杣道)でもない?途切れがちの踏み跡を
馬背山最後の登りは幅狭い尾根筋・南面は岩壁・北面も崖三ノ丸北西の出曲輪に向かい・更に急坂を降ると大鞍部に到達する。登り返す急登は”山抜け”の危険な状態の砂地の露盤。下りは更に危険度も増す。その頂部が馬背山(行者山)(役行者を祀る祠があったとも!?・此れより萱刈坂へ下る北尾根上にも、此処から遷された?と思われる行者堂がある)。高見城と呼応する位置にあり、山頂付近から行者堂(此処も砦?)付近まで県遺跡分布図の高見城域に入るが中の台の城(高見城南郭)同様の城砦遺構と思われる
馬背山直下の岩場から望む高見城行者山の東西に3-4段(低土塁も!)・南斜面の数段は切岸を…馬背山城(仮称)の曲輪群をみる。県遺跡分布図の高見城域を外れる二つ岩峰をもつ馬背山には山岳寺院も在ったらしい?が遺る石積は寺ではなく・大岩を抱き込んで一列に並ぶ堡塁そのもの。細い岩尾根・南に絶壁・北も竪堀無用の崖状斜面。背後の馬背山城を護る馬背山堡塁の鉄壁の防備施設に思えます。
馬背山東端の”山抜け”の大鞍部を下る:向かいは高見城山側の北尾根馬背山の堡塁を抜け出て一枚岩岩尾根のリッジ通しは快適なクライム感覚で…
…が南面は基部さえ覗き見る事も出来ない断崖なので北面を捲き西尾根を下る。尾根筋は311mピークを越えて尾根末端部の佐野(氷上南小学校・地元野菜等直売所近くの小峠)に降り立つ。高見城が佐野城と呼ばれていた当初の大手道は矢振神社(高見城に祀られていたが落城で鴨野・稲畑・佐野の三ヶ村に分祀された。稲畑と共に矢降神社に奉納される佐野の三番叟も市の無形文化財だったが、更地なっている神社が再建され再び三番叟が奉納される事を望んでいるのですが…)から谷筋を詰め上がった中ノ台(高見城南郭)を主郭に向かったものか?。”行者山の砂地尾根:上部に「三ノ丸北西の出曲輪」馬背山城へも佐野からの長い林道終点付近から詰めたと思え、数段の曲輪群も南斜面に集中する。佐野からの尾根通しに岩場の馬背山城堡塁に到達しても、次の馬背山城(仮)から高見城へを遮断する大鞍部の通過は至難。佐野に至る西尾根筋に城砦遺構らしいものは先端部(比高30m)に経6-7m程の物見台状の平坦壇を見かけただけ、谷筋の大手筋入口の監視台であったのかも?。
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