松ヶ瀬 (黒田官兵衛の里) 西脇市黒田庄町
R175号線を西脇市に入ってくると居酒屋「松ヶ瀬」・ガソリンスタンドの付近からは「官兵衛の里・西脇市」の幟旗の数が沿道沿いにはためくが、とりわけA-COOP”黒田庄牛”の大きなサインボードのある「田高交差点」・道を挟んで建つ大山病院との間を東へ左折する車道に沿う辺りが目立つ。
其れも其の筈:この道が加古川に架かる新中橋を渡った東詰めの北側に多田構居(播磨鑑の「多田の城<居館>」で黒田下野守の黒田城は此処!!)、JR加古川線踏切の南側が本黒田駅だが、此の先で交差する県道294号を直進する先には伝:黒田城(黒田城塞群の一砦!?)とされる稲荷社で頂部に祀られる低丘陵をみる。更に進む車道は老人ホーム前から最奥の荘厳寺に至る。
”松が瀬”より石金山へ延びる丹波・播磨国境尾根を望む黒田官兵衛は小寺氏に仕え姫路城を任された黒田職隆の子とされ、母は明石城主(明石古城で明石氏の枝吉城の事!!)の娘”岩”…が通説となっているが、荘厳寺文書や、姫路市の小寺家菩提寺心光寺や「播磨国飾東郡妻鹿村御塔之記」<福岡県立図書館蔵>等により、多可郡(黒田庄町は多可郡から西脇市に編入されている)黒田村の産なり…と、官兵衛の播磨黒田庄町誕生説は一部の人に留まらず、大河ドラマ化を契機に研究され西脇市を挙げてのPRにと俄かに活気付いている。
話しを戻して…R175号の田高北交差点の先:沿道沿いの加古川右岸堤防に沿って約800m程は春・見事な桜のトンネルが出現する。国道は直ぐ堤防沿いからは離れていくが、新しい集合住宅並びの小公園に「子午線モニュメント」がある。此の桜並木の北端付近・居酒屋「松が瀬」の東向かい堤防上に松ヶ瀬の案内板が立つ。
”松が瀬”と天狗山へ延びる黒田城塞群の尾根末端(右方)に伝:黒田城
此処には夜襲による黒田城落城の際・幼君・万吉(官兵衛)と母比延山城?8代城主比延常範の娘<於松・松の前>は家老某により川を渉り姫山の城(姫路城)を目指して落ちてゆこうとしたが、母は遂に流されて溺死・幼君は無時姫山の城に落ち延び成長したのが黒田官兵衛と云われます。何かと辻褄の合わない事由を挙げていくと官兵衛の黒田城出生説まで アヤフヤ!!になってくるので伝説としてだけを…。
”松が瀬”付近に駐車スペースは無い様なので田高交差点・大山病院側から新中橋西詰喫茶さくら亭の向かい道標の堤防沿いに進むのが良いでしょう。

其れも其の筈:この道が加古川に架かる新中橋を渡った東詰めの北側に多田構居(播磨鑑の「多田の城<居館>」で黒田下野守の黒田城は此処!!)、JR加古川線踏切の南側が本黒田駅だが、此の先で交差する県道294号を直進する先には伝:黒田城(黒田城塞群の一砦!?)とされる稲荷社で頂部に祀られる低丘陵をみる。更に進む車道は老人ホーム前から最奥の荘厳寺に至る。
”松が瀬”より石金山へ延びる丹波・播磨国境尾根を望む黒田官兵衛は小寺氏に仕え姫路城を任された黒田職隆の子とされ、母は明石城主(明石古城で明石氏の枝吉城の事!!)の娘”岩”…が通説となっているが、荘厳寺文書や、姫路市の小寺家菩提寺心光寺や「播磨国飾東郡妻鹿村御塔之記」<福岡県立図書館蔵>等により、多可郡(黒田庄町は多可郡から西脇市に編入されている)黒田村の産なり…と、官兵衛の播磨黒田庄町誕生説は一部の人に留まらず、大河ドラマ化を契機に研究され西脇市を挙げてのPRにと俄かに活気付いている。
話しを戻して…R175号の田高北交差点の先:沿道沿いの加古川右岸堤防に沿って約800m程は春・見事な桜のトンネルが出現する。国道は直ぐ堤防沿いからは離れていくが、新しい集合住宅並びの小公園に「子午線モニュメント」がある。此の桜並木の北端付近・居酒屋「松が瀬」の東向かい堤防上に松ヶ瀬の案内板が立つ。
”松が瀬”と天狗山へ延びる黒田城塞群の尾根末端(右方)に伝:黒田城
此処には夜襲による黒田城落城の際・幼君・万吉(官兵衛)と母比延山城?8代城主比延常範の娘<於松・松の前>は家老某により川を渉り姫山の城(姫路城)を目指して落ちてゆこうとしたが、母は遂に流されて溺死・幼君は無時姫山の城に落ち延び成長したのが黒田官兵衛と云われます。何かと辻褄の合わない事由を挙げていくと官兵衛の黒田城出生説まで アヤフヤ!!になってくるので伝説としてだけを…。
”松が瀬”付近に駐車スペースは無い様なので田高交差点・大山病院側から新中橋西詰喫茶さくら亭の向かい道標の堤防沿いに進むのが良いでしょう。
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