御着城 姫路市

NHK大河TVドラマ(2014年)放映される「軍師官兵衛」では其の出生地や、其の活躍の中心的な舞台となる姫路市の姫路城や御着城…等々・播磨地域が一躍知られるところとなり、後世”江戸時代の延宝6年(1678)に完成した”福岡藩の藩命による貝原益軒の編纂による「黒田家譜」・司馬遼太郎氏の「播磨灘物語」等の内容が反映され、完全無欠の軍師官兵衛がヒーローとして登場しているという。
画像
過去の大河ドラマがそうであったようにドラマ登場人物の扱い方や史実は少し?違うものとして観察しながら鑑賞する分には面白いかも…。御着城の支城として官兵衛父子が預かる姫路城は官兵衛出生地として:其の先祖は近江国で岡山の福岡に移り・さらに姫路では「目薬」で財を成すサクセスストーリーまで…。ヒーローの立身出世物語は:既に結果が見えている後世に創られた物語なので:普通では考えられない言動や行動は結果が分かっての予言者の様。絵空事は西播磨に勢力を延ばし黒田氏が仕官した程の御着城主小寺氏の滑稽なほどの行動も…?
        御着城址公園:二の丸と東出張所
画像
御着城についての城史も小寺氏は中国毛利攻め序の”播磨攻め”?で:三木城別所氏に加担して早々に落城し、その後は城主3代が御着城本丸跡の奥津城の天川神社に祀られている事以外の詳細は不詳だが、代わって此処を舞台とする黒田官兵衛の活躍一色で覆われてしまう御着城の残存遺構の無さも今となれば悔やまれます。僅かに痕跡を遺すのが江戸時代中期:姫路藩による総石垣造りの天川橋が濠跡に移設され、其の東への延長線上のグランド北端(二の丸曲輪の切岸)沿いに延びる濠跡は東端の湿地藪側へ廻り込む。
        二の丸:グランド北端の濠跡
画像
発掘調査後の埋戻し・造成工事で推測するだけだが更に曲輪東南(国道側)にも濠と土塁で囲われていた筈…!!。掲載済みブログ”天川橋 御着城1” ”天川神社 御着城Ⅱ” ”黒田家廟所 御着城Ⅲ”にも黒田家廟所や官兵衛について疑問等は記しているので割愛。領民への過酷な賦役と犠牲で築かれ・領民とは懸離れた世界・武士の戦いの為だけの天空の城を:其の景観から歴史を知らず空中都市マチュピチュ遺跡に
     二の丸東端:宅地車道並びの水濠跡!!
画像
例えて訪れる観光の城となってしまった但馬竹田城は今後?観光地人気で続くのでしょう。大河ドラマは一部史実を追ってはいても。虚構・虚像で固められ・面白く見せ続ける必要もあるのでしょうがドラマ放映中の限られた期間までのブームとして一過性に終わってしまうことのない様、各関連地域での史実の追及・古文書等資料の研究は続けて欲しいもの。御着城主3代小寺政職は御着落城時に討死・
     濠跡に移設されている天川橋
画像
次男は広峯氏養子で広峯城に居り、三男則治が伊川谷(神戸西区)小寺城に居るが三木合戦に討死。小寺城の位置等は未訪だが別所方の参戦なら三木城に入る筈?、官兵衛が居たとも云う?秀吉方の三木城向城だったのか?。史実は曖昧になるが則治の嫡子:太郎太夫が浪人となり丹波東芦田(丹波市青垣町東芦田)に落ち延びて丹波小寺氏の祖となったと云う。小寺一族の庶流でも研究されている方がおられるので小寺家・黒田家庶流・両氏族の支流や関係領主等の研究・資料調査が続けられ、闇の部分が解明され疑問が少しずつでも払拭できれば…


この記事へのコメント

この記事へのトラックバック