兵主神社 西脇
JR加古川線黒田庄駅前を抜け大門交差点を東へ折れJR踏切を渡ったところに石大鳥居がある。右手に小学校と宮池<貯水池?>・左手に駐車場と兵主神社が鎮まる。神社の東:岡交差点でJR本黒田駅方面からの県道294号(日本へそ公園近くを抜ける)と交差する。直進すると”日本のへそ日時計の丘公園”を門柳川沿いに辿り、白山・妙見山への登山コースもある。
「播磨国風土記」には記載のない?神社のようです延喜式内社に列し全国に17-19?社あるという兵主社は、兵庫(つわものぐら)の鎮守とされ各国兵制が設置された処に限り設置され播磨国では姫路射楯兵主神社と此の二社のみ。兵庫!!県丹波市にも丹波国一社の兵主神社が、黒井城と千丈寺砦の南麓に鎮座する。祭神に大巳貴命・大物主命・八千戈命…等?大国主命の異称か分神が祀られる。兵主神の御神体は矛だとされ祭器の刀剣や斧等から武器製造の鍛冶の神だともいわれます。
黒田城が播磨黒田氏発祥地・黒田孝高(官兵衛)は城主重隆の二男で姫路小寺職隆の養子となったとの官兵衛:西脇市出生地説が荘厳寺古文書等によりNHKドラマ化決定以後”黒田家譜・播磨灘物語…”以上に真相味をもって語られます。本黒田から南に約3.5kmの兵主神社には、中国攻めの秀吉軍が三木城攻めで急遽播磨攻略に転じ、三木城攻めの戦勝祈願に黒田官兵衛を代参させて、祈願成就の燈明田(七反余)を寄進したのも、東播磨・北播磨へと播磨平定への権勢力を示す効果があったのかも。武神と武器製造の鍛冶の神を祀るとあれば、戦勝祈願には打ってつけの神社ですね。三木城攻略の戦勝祈願成就としての奉納金により拝殿の改築<天正19年(1591)8月27日造立の棟札がある>が成され、社紋には豊臣家の五七の桐が許されています。
「播磨国風土記」には記載のない?神社のようです延喜式内社に列し全国に17-19?社あるという兵主社は、兵庫(つわものぐら)の鎮守とされ各国兵制が設置された処に限り設置され播磨国では姫路射楯兵主神社と此の二社のみ。兵庫!!県丹波市にも丹波国一社の兵主神社が、黒井城と千丈寺砦の南麓に鎮座する。祭神に大巳貴命・大物主命・八千戈命…等?大国主命の異称か分神が祀られる。兵主神の御神体は矛だとされ祭器の刀剣や斧等から武器製造の鍛冶の神だともいわれます。
黒田城が播磨黒田氏発祥地・黒田孝高(官兵衛)は城主重隆の二男で姫路小寺職隆の養子となったとの官兵衛:西脇市出生地説が荘厳寺古文書等によりNHKドラマ化決定以後”黒田家譜・播磨灘物語…”以上に真相味をもって語られます。本黒田から南に約3.5kmの兵主神社には、中国攻めの秀吉軍が三木城攻めで急遽播磨攻略に転じ、三木城攻めの戦勝祈願に黒田官兵衛を代参させて、祈願成就の燈明田(七反余)を寄進したのも、東播磨・北播磨へと播磨平定への権勢力を示す効果があったのかも。武神と武器製造の鍛冶の神を祀るとあれば、戦勝祈願には打ってつけの神社ですね。三木城攻略の戦勝祈願成就としての奉納金により拝殿の改築<天正19年(1591)8月27日造立の棟札がある>が成され、社紋には豊臣家の五七の桐が許されています。
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