誉田の館いろどり 小野市
小野市立会館コミュニティセンター下東条の市民研修センター前に駐車し、木製燈籠側に看板の架かる一ノ門を潜る先には柵を廻らす二ノ門が見え豊地城復元図の櫓をモチーフとした二層櫓の城郭イメージ誉田の館いろどり(福住町)がある
地元住民の活動拠点・観光交流施設として2014年3月末にオープンされ1階は地元の主婦で結成された「味彩会」のおかあさん達によって運営される。丹波市のひかみ四季菜館や篠山市の結良里、西脇市にも月一の営業だがあんずの里等のコミュニティレストラン施設。
「あわの里」や”陣屋”等…小野市内には食事の出来るコミュニティーレストランが此れで7軒?目となる”誉田の館いろどり”。2階は展望楼閣になっており、下東条地域の歴史等パネル紹介・展示されている地域周辺のジオラマにより古来よりの米処であり・交通の要衝であった東条谷の古墳や赤松家旧家臣で嘉吉の乱に衰退、新赤松家で勢力を拡大する別所氏とは対峙し室町時代末期:別所氏に攻められ落城したが東条谷を支配していた領主が豊地城の依藤氏。
先に西脇市方面から加東市社を経て冷泉・依藤塚に寄り小沢城(依藤城)の西方麓の県道564号(学園道)を東条川沿いの県道75号へと依藤野を下ってきたところで、此れより豊地城(東条城)と小田城(名村田城)にも寄った後、東条川対岸の下東条体育館等施設の建つ丘陵(誉田の丘)にオープンした(開設されたのは半年前だが)コミュニティレストランに向かったところ。
”誉田の館(模擬櫓台)いろどり”入口にメニュー板があり手書きの日替わり…とかお品書きメニューが出されている。展望所へは入口で履を脱いで階段を上がる。味見もできるゴーヤの干菓子や手作り加工食品が数点並べられているが、土・日にはパンも販売されているようです。奥に打合せ・会食用?の別室もあるフロア内からも東条川筋の田園風景や・近くの河川段丘に在る小田城が望まれる。「いろどり御膳」は要予約だが、いろとりどり!!に旬の食材を生かした9品目が一プレートに並ぶ「おふくろランチ」を頼む。
地元住民の活動拠点・観光交流施設として2014年3月末にオープンされ1階は地元の主婦で結成された「味彩会」のおかあさん達によって運営される。丹波市のひかみ四季菜館や篠山市の結良里、西脇市にも月一の営業だがあんずの里等のコミュニティレストラン施設。
「あわの里」や”陣屋”等…小野市内には食事の出来るコミュニティーレストランが此れで7軒?目となる”誉田の館いろどり”。2階は展望楼閣になっており、下東条地域の歴史等パネル紹介・展示されている地域周辺のジオラマにより古来よりの米処であり・交通の要衝であった東条谷の古墳や赤松家旧家臣で嘉吉の乱に衰退、新赤松家で勢力を拡大する別所氏とは対峙し室町時代末期:別所氏に攻められ落城したが東条谷を支配していた領主が豊地城の依藤氏。
先に西脇市方面から加東市社を経て冷泉・依藤塚に寄り小沢城(依藤城)の西方麓の県道564号(学園道)を東条川沿いの県道75号へと依藤野を下ってきたところで、此れより豊地城(東条城)と小田城(名村田城)にも寄った後、東条川対岸の下東条体育館等施設の建つ丘陵(誉田の丘)にオープンした(開設されたのは半年前だが)コミュニティレストランに向かったところ。
”誉田の館(模擬櫓台)いろどり”入口にメニュー板があり手書きの日替わり…とかお品書きメニューが出されている。展望所へは入口で履を脱いで階段を上がる。味見もできるゴーヤの干菓子や手作り加工食品が数点並べられているが、土・日にはパンも販売されているようです。奥に打合せ・会食用?の別室もあるフロア内からも東条川筋の田園風景や・近くの河川段丘に在る小田城が望まれる。「いろどり御膳」は要予約だが、いろとりどり!!に旬の食材を生かした9品目が一プレートに並ぶ「おふくろランチ」を頼む。
この記事へのコメント
お元気でしょうか。
ちょくちょくブログとHPは拝見させて頂いております。
以前と変わらぬ天々さんの超人的・精力的な活動に頭が下がる思いです(^^)
小野市にこんなお店が出来ていたのですね!♪
そして城郭風の建物は豊地城復元図の櫓をモチーフとして造られているとの事。
ぜひとも訪ねてみたいと思ってます。
山南町では石巖寺などもそろそろ紅葉の季節を迎えバスツアーの行楽客で賑わっている事と思います。
この歳になって、生まれ故郷の丹波が妙に愛おしく感じています(笑)
そしてまたいつかオフ会にご一緒出来る日が来ればいいなと思っております。
誉田の館いろどり は嘉吉の乱までの先祖:太郎左衛門豊房の小田城とは画像にある様に東条川を隔てた対岸にあります。応仁の乱後の本拠:豊地城とは離れていますね。依藤野の依藤塚の主:太郎左衛門恒殷の土沢城が近いのに遺構の無さから未だレポートなし。
伝:菅田城(居館か?)が小田城の下流に在るようです。別所氏により落城後の屋口城主:吉田伊賀守の墓が豊地城・旧県道沿いから新興住宅街?へ向かう峠付近にありますよ。城割の状況や土器等が発見された一帯は県道(新バイパス道)に、城割を実施したのが小野藩主となった一柳氏・その一柳氏の家臣が吉田氏・・・屋口城が城割されず遺っている事は有りがたいですね。
石龕寺もみじ祭り ではJA協賛のイベントが山南農協前で行われますが今年は中止とか!!。丹波地方を襲った豪雨被害…によるものだが 中止より寧ろ 売上げ金の寄付・現状況や経緯報告等の活動イベントにする等…出来なかったのかと個人的には考えてしまいます。