黒井城Ⅳ 東出丸

天下統一を急ぐ織田信長天下布武の「丹波攻略」に当たった総大将:明智光秀は多紀郡(篠山市)を領する中丹波:波多野氏の八上城攻略と、氷上郡(丹波市)・天田郡(福知山市)・何鹿郡(綾部市)三郡を領した奥丹波赤井直正の黒井城攻略の為、郡境に金山城を築いて陣城とし氷上郡に侵攻して諸城を落としながら柏原八幡を陣城として黒井城に迫ります。柏原から石生に入ると左右に丘陵部が迫る、僅か700m程の山間の平地部を・日本一低い谷中分水界を分け由良川源流の黒井川が黒井盆地へ流れ出る。
  堀切土橋を土塁虎口の主曲輪に入る
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丘陵部西北方の尾根先にはカンジョウジ城(横田城)【幻の氷上城とされた城郭だが明智の陣城・主に援軍の羽柴秀長が使用したものか?】が、丘陵部東からは向山連山の仮称四ノ山砦(天ヶ嶽砦)【黒井城砦群の一つだったが明智軍の向城に使用されたものと推察】の峰から西北へ派生する尾主曲輪北面の土塁線と切岸根先端が黒井盆地の南玄関としての要所になっている。黒井盆地へ侵攻した敵方には真っ先に:正面の尖峰千丈寺砦が本城かと!!威圧的に映ったかも…
     主曲輪北面の土塁線と切岸
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此の千丈寺砦から東へ低く伸びる尾根端のピークが黒井城だが、その中間付近の目立たない位置に黒井城の一城別郭的な土の城:西の丸が在る。黒井城の西尾根を守備する西ノ丸に対し、東出丸は東南へ延びだす尾根先は的場砦と先端部(春日IC・七日市付近)に東山砦が、東出丸からの枝尾根東端ピークには多田砦があり、黒井川が竹田川に流れ出る、共に市や交通の要衝監視に就いている。
    西ノ丸同様に左右に土塁を盛る主曲輪
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殊に太鼓の段と東出丸間には主要?の井戸曲輪があり、本城東からの侵攻阻止と水源監視守備の重要な任務もあったと思えます。地形的にも西ノ丸程の隔離・独立性はなく、北ノ丸からも山腹を捲いて通じ、石踏の段・太鼓の段共に、標高も主郭を捲く三曲輪ともに同等高線上に位置する出曲輪…だが、見どころは三段程の曲輪下段からは土橋付空堀から上り土塁を二段目の主曲輪に入る虎口を一文字状土塁で防備。浅いが土塁が曲輪左右に築かれている。最上部の曲輪は中央の上り土塁状を直上は露岩の急斜面を東曲輪の虎口に至る。右手水平道は北ノ丸を経て四ノ丸(三ノ丸石垣切岸下・北面角も露岩と石積を遺す)に至る。四ノ丸と東曲輪には多田砦への案内標識が立つ。


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