石龕寺もみじまつり Ⅵ(2014年)

石龕寺は市内山南町の名刹三山・丹波市紅葉三山:青垣町の高源寺・氷上町の円通寺ともに有名で紅葉狩ツアーのバスが立ち寄る観光名所ともなっています。例年なら同時に開催されてきたJA丹波氷上会場での種々イベントは中止された。
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有線放送等で中止案内もなく?今年市内の大洪水・土砂災害被災による自粛かと思ったが、それなら中止せず:復旧事業・被災者支援等の義援活動として実施した方が…と勝手に思っていたが会場のJA建物改修作業中が理由だったよう… 
此処から石龕寺までシャトルバス(無料)がピストン運行されている。
      長閑な石龕寺に詣る岩屋道
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足利尊氏(真田広之)の大河ドラマ太平記(1991年)放映を契機に始まった”村おこし”創成の記念行事で、趣向を凝らした”駕籠かきレース”が面白かったのを思い出す。西脇市でも軍師官兵衛の大河ドラマ化決定に”官兵衛の里”黒田庄町の荘厳寺で官兵衛まつり(2013年)が行なわれ今年も第二回が今日(11月16日)実施されていた。時代こそ違え大河ドラマ化が契機となったイベント行事だが共に紅葉の名刹
       俯瞰して愛でる石龕寺の紅葉
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播丹国境を挟んだ隣組:黒田庄町と山南町。荘厳寺の先代?住職は石龕寺から移られたとも・また共に教職にあった人とも…聞く。紅葉ツアー以外にイベントを通じて…なにか絆が出来れば…いいですね。
山伏(石龕寺の檀家衆)の先導で日吉神社をスタートして石龕寺の毘沙門堂まで参内する足利尊氏・義詮父子一行の武者行列も”第一回石龕寺もみじまつり”の尊氏父子に扮した地元名士は20数kgの甲冑を装着し約2㎞を徒歩で参詣したという。
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第2回目からは段ボール甲冑(作成過程を京都まで出掛け教えてもらい製作)・小川地区地域つくりセンターに常時展示。騎乗しての本来の?姿になったが…それでも仁王門からは下馬。此処から毘沙門堂までの石畳道左右のモミジが緑・薄緑・黄色から朱色に染まる鮮やかなモミジへと移り変わるコントラストの妙が美しい。
      山門より毘沙門堂へは下馬して向かう尊氏義詮父子
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岩屋山を源流に旧佐治川・篠山合流点に流れ出る岩屋谷川沿いの車道を石龕寺まで辿る。丹波に逃れた足利尊氏が追手を避けて逃れた足利橋(旧延喜式山陰道は篠山から此処に出て氷上・佐治へと>氷上回廊を北上した)は二重川の伝説で残る。
    石龕寺町石が遺る岩屋道を往く
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京を追われた尊氏が二度までも此処に逃れたのも久下氏を頼ってのことか!。武者行列に付き従うのは久下一族の武士団なのでしょう。一行の参詣コースの岩屋道には20数基の石龕寺町石(県指定・昭和40年3月16日)が遺る。また金屋(久下氏居館があった)から石龕寺奥の院に至る寺坂道にも数基が遺る。
  毘沙門堂への最後の石段道。住職に続く尊氏一行
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騎乗の武士を下馬させる山門(仁王門)内に納まる二体の木造金剛力士像こそ、山南町のシンボルで播磨西脇市から山南町に入る市境界〈旧加古川・篠山川が合流して加古川となり南下する出会公園・ミニストップの山南仁王駅に立つ仁王像が石龕寺山門の仁王像で、鎌倉時代の仏師:肥後法橋定慶による仁治3年(1242)作:運慶に代表される慶派の仏師とされ国指定(昭和31年6月28日)重要文化財で
     護摩焚き:点火前に東・西・南・北・中央の邪気:妖気を浄化する弓神事
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祭り当日は無料で御開帳。長い石段上の毘沙門堂に参拝を終え武者行列は解散するが、直ぐ上部・奥の院(足利将軍屋敷跡)への参道途中の削平地に不動明王・役行者を祀る石碑があり、山伏による護摩炊き法要が行なわれていた。
  護摩焚き:既に”火渡り”を待つ人の姿も…住職らにより次々と護摩木が焚き上げられる
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石龕寺もみじまつり Ⅴ 2012年  石龕寺もみじまつり Ⅳ 2011年
もみじ三山 石龕寺Ⅲ 2010年 石龕寺もみじ祭り Ⅱ 2009年 石龕寺:もみじ祭 2007年

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