円成寺Ⅰ 円成寺館 (丹波市
篠山市からR176号で金山城の麓・鐘ヶ坂を抜け出た丹波市側の下小倉交差点手前:上小倉と下小倉地区境界に獅子山:円成寺(曹洞宗)がある。山南町玉巻(久下氏の玉巻城がある)からJR福知山線沿い県道86号がR176に合流する「下小倉交差点」の正面頭上には、譲葉山から南へ派生する枝尾根の獅子山(点名:譲権現)から西へ延び出す先端部に大露岩:獅子岩(仮称)を望む。
円成寺城から円成寺側の紅葉獅子岩部を境に円成寺から東を上小倉・R176号の見長交差点手前付近までを下小倉・北の見長は関東(武蔵国大里郡久下村)御家人:久下氏が源頼朝に従い戦功により栗作郷(山南町久下地区…他)地頭として来住、後に小椋荘(上小倉・下小倉・見長)も領有している。観応1年(1350‐)守護:山名時氏のとき守護代になっている。
丹波攻略の織田方の城郭と思える譲葉山遺構以外、小椋荘内の城館の築城時期・城主等城史は一切不明だが、篠山から丹波に入る山陰・但馬道の幹線と山南・柏原を結ぶ奥野々道の合流する要衝。室町時代中期以前には領内荘園監視の久下氏配下の城が在ったか?、要衝・通行監視の荻野・赤井氏勢力下の城なのか?。
円成寺(居館)前の屋敷跡?削平段と国道(山陰道)
円成寺を居館として其の山門前に拡がる斜面に数段の広い削平段は武家屋敷跡だったか?。参道東側には谷川の流れ出る水を堰き止めた池が濠跡だったかは不詳だが、調査では土塁や堀跡が検出されたとある…寺背後の三方は迫る丘陵斜面を切り崩して確保された平坦段・墓所がある。
池堰堤の先で曲輪土塁とは横矢掛”食違い”を感じさせる?が…

円成寺城から円成寺側の紅葉獅子岩部を境に円成寺から東を上小倉・R176号の見長交差点手前付近までを下小倉・北の見長は関東(武蔵国大里郡久下村)御家人:久下氏が源頼朝に従い戦功により栗作郷(山南町久下地区…他)地頭として来住、後に小椋荘(上小倉・下小倉・見長)も領有している。観応1年(1350‐)守護:山名時氏のとき守護代になっている。
丹波攻略の織田方の城郭と思える譲葉山遺構以外、小椋荘内の城館の築城時期・城主等城史は一切不明だが、篠山から丹波に入る山陰・但馬道の幹線と山南・柏原を結ぶ奥野々道の合流する要衝。室町時代中期以前には領内荘園監視の久下氏配下の城が在ったか?、要衝・通行監視の荻野・赤井氏勢力下の城なのか?。
円成寺(居館)前の屋敷跡?削平段と国道(山陰道)
円成寺を居館として其の山門前に拡がる斜面に数段の広い削平段は武家屋敷跡だったか?。参道東側には谷川の流れ出る水を堰き止めた池が濠跡だったかは不詳だが、調査では土塁や堀跡が検出されたとある…寺背後の三方は迫る丘陵斜面を切り崩して確保された平坦段・墓所がある。
池堰堤の先で曲輪土塁とは横矢掛”食違い”を感じさせる?が…
この記事へのコメント