下三井庄城館 丹波市

県道69号(春日栗柄線)は丹波黒井城から栗柄峠を下って篠山市へ、また鼓峠を経て京都府船井郡へ通じる要衝。南には三尾山の大岩壁をそば立たせる峻嶮な山容の北面に覗かせ、街道と並走する竹田川を挟んだ北方には三春峠を越えて船井郡美和町へ向かう県道709号沿いに春日町下三井庄・上三井庄の集落がある。
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春日部荘の東北端部に位置する下三井庄・上三井庄は南北朝期:淳和院領の三井荘に比定されていた地。室町時代には足利氏の管領地となり文亀・永正頃は其の一部を大山荘(篠山市西紀・大山城を本拠!!?)の中沢氏が所領としていた。
        南端への高い切岸下の曲輪を見下ろす土塁小曲輪?
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”須磨子の里”小公園前の車道は古路地川に架かる川北橋を渡り春日総合運動公園グラウンドの近く:正面の低丘陵部裾に三井庄の名の由来となった三つの井戸の一つ”岩井”がある。其の背後の藪中?に下三井庄城館があるが城史一切不詳:県埋蔵文化財遺跡分布図の備考に「奈良時代の掘立柱建物跡が検出された…」とある程度…
          城域南尾根端の切岸?
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城域の規模や築城時期や目的・遺構等現状についても不明です。春日総合運動公園を挟んで西に極小規模の独立丘陵の丸山も遺跡分布図も白紙だが伝承では城跡で山頂主郭には寺が建つ。戦国時代:在地土豪小田某氏の城だと云う。小さな下三井荘の盆地入口部の西に西(正?)福寺城館・東に下三井庄城館は此の土豪により呼応して築かれていたものか?。
        貯水池?下段の石積井戸?
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雑木藪に覆われた中で見つけた古い石積井戸に湧き出る澄んだ水も、広い竹藪内の平坦段差の間にある土塁囲みの沼地状平坦地も居館?ではなく・単に浅く埋もれかけた溜池跡?・竹薮中の高い切岸・其の上部には広い平坦地形を監視できる小曲輪だが切岸に沿って土塁…?全て竹の育成や管理用施設なのかナ…?


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