香良城 丹波市

2014年の豪雨・土砂災害は丹波市にも凄まじい爪痕を各所に残した。但馬:竹田城だけが天空の城ではないよ…と黒井城の霧海を紹介するため黒井城の丹波霧撮影に登った猪口山(黒井城)山頂から望む五大山から鷹取山~五台山への稜線西側においても豪雨被害の大きかったことを聞いて後日:香良・岩滝寺に向かった。
      香良城:共に断崖上の東郭から西郭側の城域を望む
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実は此処には10数年来の山城仲間のM君より案内を請われていたが延び延びになっていた…、三好長慶ファン?の彼にとって見逃せない?丹波の三好氏関連の城砦がある。丹波で最も激烈を極めた香良合戦の舞台ともなった至近距離にある香良城が、要害を極める岩稜上に在る。
     東郭(一ノ丸・主郭と思っていたが…?)東面露岩の切岸
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尤も此の城が舞台ではなかったと思えますが、古文書等資料が何も残らないが、香良城への取付き点・毘沙門堂や、独鈷滝の先・浅山不動尊:香良の山麓の寺社に集結した、細川氏綱方の三好長慶・松永久秀に付いた足立氏・芦田氏が拠って、細川晴元方の赤井・荻野氏一族と合戦した細川内乱の代理戦争。
この戦いに芦田・足立勢への三好・松永軍救援が間に合わず敗走。敵味方共に多くの戦死者を出しながら勝敗を決していない。
      東郭(一ノ丸)北面切岸の土止め石
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連戦連勝・負け知らずの猛将で:此の戦いには前年:叔父の荻野秋清を殺して黒井城主となっていた赤井直政も重傷を負い・春日領内に逃げ帰っています。直正の兄:家清も戦いの傷により数年後に死去・芦田・足立氏一族は悉く戦死・後に威勢を張る赤井・荻野氏傘下に組み入れられます。
青垣町の祖父祖父堂に祀られる一族36人は「丹波志」に明智光秀により謀殺された足立等と伝えられますが、此の香良合戦の戦死者とも云われます。
   西郭(二ノ丸<中央曲輪>北西角・枝尾根側の竪堀)
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過去の岩滝寺と香良城 関連ブログ ↓
紅葉愁嘆・岩滝寺 https://tanbakirinosato.seesaa.net/article/201412article_4.html
紅葉の岩瀧寺 https://tanbakirinosato.seesaa.net/article/200711article_15.html
香良城Ⅰ  https://tanbakirinosato.seesaa.net/article/201104article_7.html
香良城Ⅱ  https://tanbakirinosato.seesaa.net/article/201104article_8.html
香良城~五台山 https://tanbakirinosato.seesaa.net/article/200803article_4.html
   西郭(三ノ丸帯廓切岸西面の土止め石列)
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元より急斜面の香良城への短絡ルート偵察を兼ね訪れたが、岩滝寺からのコースは谷間が崩壊・踏み込めない危険な状況。林道伝いのコースもコンクリート舗装車道は捲れ・崩れているが徒歩でなら辿り、香良城域東鞍部の竪堀状・二重堀切状に行き着ける。一本の堀切以外は林道が通じる以前の旧山道らしい。堀切の一本も山道となっているが、堀切だったところに山道を繋げたものと思える!!?
  西郭(三ノ丸<主郭?>南斜面下にもある曲輪:小屋の尾曲輪<仮>)
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香良城については先のホームページ上や過去の関連ブログに画像とともにレポートがあるので詳細は控えるが、西岩山Ca340m最高所の東郭が主郭と思っていたが、岩壁上の城攻めの前衛となる場所だけに、寧ろ背水(イヤ 背崖)で・是以上は引き下がれない低い位置の西郭西南端の三ノ丸が主郭・岩塁上の櫓台状が本ノ丸とも思える。攻めるに難く・護る(籠城する)にも厳しい城ながら、曲輪確保の切岸に土止め石列や枝尾根に廻り込むのを防ぐための竪堀を二条ほど観た。此の日:案内する心算だったT氏こそ三好氏の郷:四国の出身で、M君を山城フアンにし、T氏講演で氏のファンともなったもので紹介できれば最高 だった筈…だが何せ急に決まった山行なので御免なさい…


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