尉ヶ腰城 丹波市

舞鶴若狭自動車春日ICをR175号線に出た下野村交差点を南下する県道69号線に入り自動車道高架を潜り出た”国領交差点”に向かう。国領城(流泉寺)と国領川を隔てた北側の左手に尉ヶ腰城・右手の丘陵尾根先端部の陰で見えないが、奥隣の尾根先ピークには柚津城が在る。
   進修小学校から竹田川を挟んで尉ヶ腰城(手前南郭と最高所)
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共に南側からの登路はなく明確な取付点も見当たらない…が。竹田川を自然の濠とした国領城は黒井城主:荻野直正の弟(三尾城主の赤井幸家)の下屋敷。背後には東西に尉ヶ腰城(棚原城)・柚津城・野々間南城・鹿場西城・鹿場東城・下三井庄城…が横並びに配置されている。その中でも”尉ヶ腰城”は三尾城と黒井城の中間にあって、両城へ矢文の受け渡しを行った矢継ぎの城の伝承を伝え狼煙の砦・通信用の繋ぎの城としての重要な位置にあったようです。
    尉ヶ腰城南郭の現状
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竹田川の南側は黒井城から竹田川を溯る栗柄峠(県道59号)への街道筋が県道97号に合流して篠山市へ・鼓峠を越えれば草山温泉から京丹波町のR9号(山陰道)に繋がる要衝で”黒井城攻略”明智光秀の一回目合戦で敗走し此のルートを命辛々逃れた街道筋。高尾城(長谷城)・岩戸神社城・東中城・河津館・三尾城の一帯を支配した黒井城砦群が要衝を挟み呼応する。
  竹田川が尉ヶ腰城南郭部の山裾を北へ囲うように流る
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県遺跡分布図による”尉ヶ腰城の城域”は半独立丘陵部全域に及ぶ様ですが残存城跡遺構は期待できないうえ県道59号側を要衝監視する主要郭と思われる丘陵南端153mピーク上も1-2段(低い段差さえ崩れてか?不鮮明)平坦地形を物見台として推定する程度。尾根北方の最高地点側も”野々間南城”との鞍部を抜けてR175号へ抜ける巡礼道・但馬丹後に通じる峠越の間道監視・黒井城との通信中継基地となっていたのかも…?。主要郭の山上へは周囲に以前無かった鹿猪避けフェンスが張り廻らされているので、北尾根側や西方からのルートでフエンス開閉扉を探すことが先決。城史も不明・山城ブログではコメントもない関心度の低い・訪城者も殆どいない城趾に詳細は割愛する。
   尉ヶ腰城・南郭 ↓ 


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