房舎 加東市
R175号西脇バイパスを南下し中国自動車道”滝野社IC入口”交差点を直進してR175号「家原交差点」を左折して窪田へ直進・十形道路交差点の警戒標識と一時停止標識のある交差点で右折し、道なりに北野交差点(中国道出入口)に向かう。居酒屋だが昼は日を限ってイタリアンのランチ営業もされているようなので下見がてら:そばを側を通ってみるつもり。
車道を200m程進むと左手に古民家の玄関口に赤い暖簾が架かり、本日のランチメニューらしい掲示板と、車道脇には駐車場案内”P”の看板が出され房舎(ぼうしゃ)<加東市窪田>とある。後で手にした店に置かれている名刺(少し以前のものなのかも?)によると、三木市内の薩摩地鶏わげんやさんの姉妹店で、
さつま地鶏の白鍋・炭火ごろ焼き・鶏の炙り焼き…等の鶏料理メインの居酒屋さんで開店されて既に2-3年目。ランチ営業をされるようになったのも、此の日がランチ営業日ではなかった?ことも知らなかった。何ヶ所か辺鄙な…?とも思える地区道沿いに店舗を見掛けるのは、南下すると約2㎞程でR372 号(野村河高バイパス)を越えて続く直線道が社工業団地内を抜ける車道でもあるからか…。
前菜西脇市方面からの正規ルート?はR175号の滝野インター入口交差点から播磨中央公園側へ右折。IC出入口の北野交差点を左折し中国道高架を潜る。高架北を中国道沿い農道の様な車道の西方に穂積陣屋がある。赤穂藩の飛領地で忠臣蔵で知られる吉良邸に討ち入った吉田忠左衛門が郡代官として此処に在番していた。加古川を挟んで西向かいに河高構居跡(所在不詳)が在り此方も南北朝期の忠臣蔵:赤松浪人が吉野の後南朝に討ち入って南朝方に奪われた神器の一を奪回した浪士の一人・河高(丸山)治部少輔の城だったと云われます。
玄関の引き戸を開けて入った入口は敲きの土間?。土間から2階へ上がる階段は家屋外観からも2階部分が低い(狭い)”ツシ2階建”構造なので、2階は物置か・小部屋になっている様子?だが。(我が家が築50年程のボロ屋、その築前の茅葺民家だった頃を想い起こしてみると少なくとも築50-60年以前のものと思える古民家を居酒屋・カフェに改修されている様。
大きなカップで牛蒡のスープ焼板外壁に障子窓が取り付けてあるが元は”縁げ(外廊下?)”だったところまでフロアとして広げられたものか?、若い人達には古色然としたものは珍しく、広い間取り・黒光して風格にある剥き出しの太い柱や天井の梁は洒落た空間のお店に映るようですね。主要幹線道路からも外れているが気になる店も何カ所か見かけるが周辺は宅地と耕作田が点在する郊外の静かな佇まいのなかで、ストレス無く落ち着いて食事が楽しめる。
ベーコンとパプリカのトマトソース…玄関口の壁には北播磨出生説に信憑性のある黒田官兵衛の水五訓ならぬ七訓(無財の七施)の色紙が額に納めて掲げてある。姉妹店わげんやと房舎の教訓でありポリシーなのでしょう…素晴らしい
酒粕クリームソースを…ペンネで店内は座敷内に四人掛けテーブルを置く丹波市のパンカフェゆらにも似た感じ。テーブル席は広く距離感を持ったゆとりで設定されているうえ、布ブラインドでも仕切られ、洒落れてて落ち着ける。隣席の話し声も気にならないので女性だけの場合はお喋りにツイ長居されるのかも?。厨房側には4つばかり椅子が並ぶカウンター席もがあるが利用者は夜だけかも。
ランチは三種から選べるパスタランチコースのみ?だが其々に前菜・パン<オリーブオイルが付くが好みで!!>・スープ<この日は牛蒡とジャガイモ?のスープ>・食後にデザートと珈琲等のドリンクがセット。デザートは苺のミルフィーユ or ティラミスだった。本日のパスタランチはスパゲッティ2種:創作パスタの三種だった。

車道を200m程進むと左手に古民家の玄関口に赤い暖簾が架かり、本日のランチメニューらしい掲示板と、車道脇には駐車場案内”P”の看板が出され房舎(ぼうしゃ)<加東市窪田>とある。後で手にした店に置かれている名刺(少し以前のものなのかも?)によると、三木市内の薩摩地鶏わげんやさんの姉妹店で、
さつま地鶏の白鍋・炭火ごろ焼き・鶏の炙り焼き…等の鶏料理メインの居酒屋さんで開店されて既に2-3年目。ランチ営業をされるようになったのも、此の日がランチ営業日ではなかった?ことも知らなかった。何ヶ所か辺鄙な…?とも思える地区道沿いに店舗を見掛けるのは、南下すると約2㎞程でR372 号(野村河高バイパス)を越えて続く直線道が社工業団地内を抜ける車道でもあるからか…。
前菜西脇市方面からの正規ルート?はR175号の滝野インター入口交差点から播磨中央公園側へ右折。IC出入口の北野交差点を左折し中国道高架を潜る。高架北を中国道沿い農道の様な車道の西方に穂積陣屋がある。赤穂藩の飛領地で忠臣蔵で知られる吉良邸に討ち入った吉田忠左衛門が郡代官として此処に在番していた。加古川を挟んで西向かいに河高構居跡(所在不詳)が在り此方も南北朝期の忠臣蔵:赤松浪人が吉野の後南朝に討ち入って南朝方に奪われた神器の一を奪回した浪士の一人・河高(丸山)治部少輔の城だったと云われます。
玄関の引き戸を開けて入った入口は敲きの土間?。土間から2階へ上がる階段は家屋外観からも2階部分が低い(狭い)”ツシ2階建”構造なので、2階は物置か・小部屋になっている様子?だが。(我が家が築50年程のボロ屋、その築前の茅葺民家だった頃を想い起こしてみると少なくとも築50-60年以前のものと思える古民家を居酒屋・カフェに改修されている様。
大きなカップで牛蒡のスープ焼板外壁に障子窓が取り付けてあるが元は”縁げ(外廊下?)”だったところまでフロアとして広げられたものか?、若い人達には古色然としたものは珍しく、広い間取り・黒光して風格にある剥き出しの太い柱や天井の梁は洒落た空間のお店に映るようですね。主要幹線道路からも外れているが気になる店も何カ所か見かけるが周辺は宅地と耕作田が点在する郊外の静かな佇まいのなかで、ストレス無く落ち着いて食事が楽しめる。
ベーコンとパプリカのトマトソース…玄関口の壁には北播磨出生説に信憑性のある黒田官兵衛の水五訓ならぬ七訓(無財の七施)の色紙が額に納めて掲げてある。姉妹店わげんやと房舎の教訓でありポリシーなのでしょう…素晴らしい

酒粕クリームソースを…ペンネで店内は座敷内に四人掛けテーブルを置く丹波市のパンカフェゆらにも似た感じ。テーブル席は広く距離感を持ったゆとりで設定されているうえ、布ブラインドでも仕切られ、洒落れてて落ち着ける。隣席の話し声も気にならないので女性だけの場合はお喋りにツイ長居されるのかも?。厨房側には4つばかり椅子が並ぶカウンター席もがあるが利用者は夜だけかも。
ランチは三種から選べるパスタランチコースのみ?だが其々に前菜・パン<オリーブオイルが付くが好みで!!>・スープ<この日は牛蒡とジャガイモ?のスープ>・食後にデザートと珈琲等のドリンクがセット。デザートは苺のミルフィーユ or ティラミスだった。本日のパスタランチはスパゲッティ2種:創作パスタの三種だった。
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