伝黒田城Ⅰから黒田城Ⅱ主郭へ

伝:黒田城(黒田官兵衛生誕地関連の周辺ポイントを紹介)…中世播磨の土豪:黒田氏は加西市河内に城を築いた赤松則村(円心)の弟円光を始祖とし、観応2年(1351)黒田庄に来住した重光が黒田氏を名乗り初代となり
     黒田城(物見台)と天狗山(小苗前山山城)
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8代が黒田官兵衛の父重隆・兄の治隆が9代を継ぐが元亀3年(1572)石原掃部助(石原城主)・赤井忠家(丹波:高見城主)の連合軍に敗れ播磨黒田氏は断絶する。其の居館が多田構居・居城が伝:黒田城とされるCa130m程の半独立丘陵の城山(稲荷社を祀る)なのか?、此処には曲輪・櫓台状?・竪堀・堀切等の城塞遺構を観る。
       城山(黒田城)から中央下方の城山(伝黒田城)を望む
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縄張りの全域実態は不明のようだが、城域からさらに北東へ続く長い尾根上にも削平された曲輪遺構等が点在して、此処にも城山と呼ばれる245m地点が黒田城主郭部とされる様なので、伝:黒田城は出曲輪なのか、目的機能の異なる?一城別郭的存在なのかも。伝黒田城からの尾根続きに点在する曲輪群は、撤退しながら処々で体制を整え戦う拠点とする”逃げの城”的構造なのかも?。
          城山(黒田城)
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”軍師官兵衛”大河ドラマ(2013年)化で周辺が整備され天狗山から南西へ延び出す尾根上の城山まで遊歩道が整備されるまでは踏み跡薄く下草藪に悩まされながら辿る尾根筋に曲輪と思しき平坦地形を見る。土塁状を観るだけでも石原城側の山城(石原北山山城)よりは山城跡らしいと思える程度。黒田城主郭の幅広い東末端曲輪より見張り台へ向かう鞍部に土塁を見る。南山麓墓地から谷筋を詰めれば主尾根筋は此処に着く。竪堀が有っても…と探すが見当たらない?。
      黒田城主郭東末端より見張り台へ向かう鞍部の土塁残欠
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市の観光パンフには伝黒田城を最西端とする天狗山南西尾根の物見櫓(監視台跡)312m(最高地点346mも円形マウンドの見張り所跡か?)に天狗山と記されている?。私のいう天狗山とは点標名天狗山:4等三角点485m のことで西尾根最高地点346mから其の尾根先を追って急斜面を下り登り直す、一際高い峰の頂部付近には衝立する大岩壁が見せる。急峻で居館・居城?から見ていても高く要害には違いないが遠過ぎる天狗山山上に小苗前山山城が在る。   
   黒田城(見張櫓台跡 312m)
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城跡から妙見山-白山方面への縦走登山ならともかく黒田庄町側(船町)へ下るのは非常に危険です。此処は摂丹国境に位置する境界の城。主に丹波側を監視する黒田城の出城的存在かとは思えますが、城遺構を探すのは整備される以前の黒田城と同様に、尾根上の自然地形の中の遺構探しは難しそう…


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