牧山神社 丹波市
175号線「朝阪交差点」で加古川(旧佐治川)を右岸(西)に渡り県道532号を南下し応地(蛇ないで知られる)から岩尾城跡北面の搦め手?道の尾根下をへトンネルで抜け出ると坂尻から山本へ下りてくる。延命寺への標識を見て右折すると宮前バス停交差点。バス道に入らず直進すると程なく牧山神社の杜が見えてくる。
牧山神社本殿:向拝扉の波兎と鶴神社前の車道は延命寺前から、更に・小野尻峠から播磨多可町へ抜ける県道86号の富田交差点から播磨境の西谷(分岐する牧山川・西側の谷筋)に向かう県道293号に出る。傍には牧山の牛岩伝説に関わる小公園がある。
牧山川沿いから望む延命寺や牧山神社背後の延命寺山は神の鎮座する神奈備であったか?。篠ヶ峰に続く南尾根の最南先端には標高こそ低いが尖峰を空に向ける急峻な山容には登行欲を掻き立てられる。
牧山神社の大杉(指定天然記念物)牧山の牧は牛馬等を放牧の”牧”なのか?。牛岩を牧の守護神として崇めた牧山の牛岩さんの伝説や、水の少ない牧山川にも共に弘法大師伝説が残る。福知山市の弘法川等の例と同じく、旅僧(全国巡錫中の弘法大師)が水を所望して立ち寄った民家の主に、与える水は無いと断られ・僧が杖で地面を突くと、牧山川の水は地に吸い込まれ・水は枯れてしまったと云う水無川の伝説がある。
牧山神社の所在地:小畑の先祖は畠山重忠(平安-鎌倉時代初期の関東武者)と伝えられ、重忠の子孫が来住し牧山川の南を開拓したものが小畠・北を開拓したものが大畠を称したと云われます。妻が藤原(足立)遠元の娘なので、山垣城主(青垣町)足立遠政一族との繋がりもあったものか?。
天正期:明智光秀の丹波攻め頃の足立氏は赤井氏家臣:落城する高見城から再起を期して此の地の五ヶ野(牧山の北方)に逃れた赤井五郎を、此処で斃れたことにして半年余り、追手の詮索を免れ匿った村人達は畠山氏所縁だったか?、五郎塚の伝承も遺る。
牧山神社<丹波市山南町小畑>は牧山地区5集落?の産土神で創建時期等は不詳ですが、祭神に大歳御祖神・素戔嗚命・大山祇命等4柱を祀り、天満宮・愛宕社・金刀比羅社・稲荷社等が合祀されている。駐車場正面の鳥居を潜り境内に入る随身門の右手に町指定天然記念物の大杉があり、
本殿西木鼻の獅子と象の阿像根周り9m・目通り幹囲6.3m・高さ41mで丹波市内第二の巨杉という。(第一は同山南町上滝の山口神社) 同様同年指定の町天然記念物で、丹波市内第一ウラジロカシの巨木が有った?筈だが本殿の更に奥・弁財天への参道沿いにでもあったものか?、牧山神社本殿には中井一党の神社彫刻がのこると云い、立ち寄っただけなので気付かなかったが!!?。
本殿廻り縁西側の三様の亀像同町内和田地区内の草部八幡神社と同様に神社彫刻は版木銘を見出せなかったが彫刻師中井家二代目:中井丈五郎正忠と其の弟子で初代久須善兵衛政精の手に成るもの。寺社彫刻師としての中井家一党の作者や作品解説については中井権次顕彰会(2014年1月)会員らによる専門的な報告や研究調査がなされていますので、此処では一部作品の画像紹介だけにとどめておきます。
コレ!!? ナマズかな?草部八幡神社の幣殿で見掛け・珍しいな…と思った亀だが、尾の形で海亀と思ったが想像上の亀の様、意味さえ分かれば・なんでもない取り合わせなんでしょうネ。牧山神社では拝殿廻り縁西側に三様の姿があった。同じく其の木鼻に獅子・麒麟・龍は極く普通の組合せ?と思え、象?も時々見掛けるが、幣殿に奇妙な彫刻を見た。肉眼では見辛い位置にあって、ズーム拡大してみたらナマズの様に見える?。地震等自然災害に対する安全を祈願するものだろうか!!?。

牧山神社本殿:向拝扉の波兎と鶴神社前の車道は延命寺前から、更に・小野尻峠から播磨多可町へ抜ける県道86号の富田交差点から播磨境の西谷(分岐する牧山川・西側の谷筋)に向かう県道293号に出る。傍には牧山の牛岩伝説に関わる小公園がある。
牧山川沿いから望む延命寺や牧山神社背後の延命寺山は神の鎮座する神奈備であったか?。篠ヶ峰に続く南尾根の最南先端には標高こそ低いが尖峰を空に向ける急峻な山容には登行欲を掻き立てられる。
牧山神社の大杉(指定天然記念物)牧山の牧は牛馬等を放牧の”牧”なのか?。牛岩を牧の守護神として崇めた牧山の牛岩さんの伝説や、水の少ない牧山川にも共に弘法大師伝説が残る。福知山市の弘法川等の例と同じく、旅僧(全国巡錫中の弘法大師)が水を所望して立ち寄った民家の主に、与える水は無いと断られ・僧が杖で地面を突くと、牧山川の水は地に吸い込まれ・水は枯れてしまったと云う水無川の伝説がある。
牧山神社の所在地:小畑の先祖は畠山重忠(平安-鎌倉時代初期の関東武者)と伝えられ、重忠の子孫が来住し牧山川の南を開拓したものが小畠・北を開拓したものが大畠を称したと云われます。妻が藤原(足立)遠元の娘なので、山垣城主(青垣町)足立遠政一族との繋がりもあったものか?。
天正期:明智光秀の丹波攻め頃の足立氏は赤井氏家臣:落城する高見城から再起を期して此の地の五ヶ野(牧山の北方)に逃れた赤井五郎を、此処で斃れたことにして半年余り、追手の詮索を免れ匿った村人達は畠山氏所縁だったか?、五郎塚の伝承も遺る。
牧山神社<丹波市山南町小畑>は牧山地区5集落?の産土神で創建時期等は不詳ですが、祭神に大歳御祖神・素戔嗚命・大山祇命等4柱を祀り、天満宮・愛宕社・金刀比羅社・稲荷社等が合祀されている。駐車場正面の鳥居を潜り境内に入る随身門の右手に町指定天然記念物の大杉があり、
本殿西木鼻の獅子と象の阿像根周り9m・目通り幹囲6.3m・高さ41mで丹波市内第二の巨杉という。(第一は同山南町上滝の山口神社) 同様同年指定の町天然記念物で、丹波市内第一ウラジロカシの巨木が有った?筈だが本殿の更に奥・弁財天への参道沿いにでもあったものか?、牧山神社本殿には中井一党の神社彫刻がのこると云い、立ち寄っただけなので気付かなかったが!!?。
本殿廻り縁西側の三様の亀像同町内和田地区内の草部八幡神社と同様に神社彫刻は版木銘を見出せなかったが彫刻師中井家二代目:中井丈五郎正忠と其の弟子で初代久須善兵衛政精の手に成るもの。寺社彫刻師としての中井家一党の作者や作品解説については中井権次顕彰会(2014年1月)会員らによる専門的な報告や研究調査がなされていますので、此処では一部作品の画像紹介だけにとどめておきます。
コレ!!? ナマズかな?草部八幡神社の幣殿で見掛け・珍しいな…と思った亀だが、尾の形で海亀と思ったが想像上の亀の様、意味さえ分かれば・なんでもない取り合わせなんでしょうネ。牧山神社では拝殿廻り縁西側に三様の姿があった。同じく其の木鼻に獅子・麒麟・龍は極く普通の組合せ?と思え、象?も時々見掛けるが、幣殿に奇妙な彫刻を見た。肉眼では見辛い位置にあって、ズーム拡大してみたらナマズの様に見える?。地震等自然災害に対する安全を祈願するものだろうか!!?。
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