舟城神社 丹波市
県道285号の天王坂は(大石理玖が越えていった但馬街道)。此の峠へ登り始める南側の坂道入り口に鎮座するのが舟城神社。此の舟城神社の南方・黒井川を挟んで約1㎞、R175号側の歌道谷・石才にも船城神社がある。【向山連山の四ノ山砦(天ヶ嶽砦)西北山麓】R175号が山麓を廻りこむ歌道谷に「船城神社」の案内標識がある。
標識の北方:天王坂を望む方向にも舟城神社がある。二つの”フナキ神社”を分ける中程:黒井川の傍に在る船木小学校の旧HP(10数年前)に茂兵衛の供養墓が「フナキ神社」に有るとの記事を見掛けた。うろ覚えで詳細不明だが、近松門左衛門の戯曲で知られる”おさん茂兵衛”の茂兵衛の郷里が春日町山田村…で舟城神社からも
近い!!距離にはある。天王坂側の舟城神社は元々(室町時代)頃まで天台宗:天王山覚王寺であり、創建年代等は不詳ながら建築造形には神仏混淆の名残を遺す神社だと云う。 祭神に素佐之男命(スサノヲノミコト)と其の八柱社(稲田姫命・天押雲命(アメノオシクモ)…等!!?が祀られる。
牛頭天王・スサノオを主祭神とする牛頭天王社で釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされ、総本社(京都八坂神社)の祇園信仰から”祇園さん”とも舟城の天王さんとも呼ばれ親しまれてきた。丹波地方では知られた牛頭天王社は昭和30年代までは遠路(北播磨や旧福知山市方面!!?)からの参詣者もあった牛馬等の守護神だが、
牛馬を使用しての農耕が廃れてくると近隣農家・畜産業者等の参拝者は少なくなっていったが、牛の塑像を安産・交通安全・合格祈願等のお守りとし、新しい像と共に翌年には納める…風習があり、納所の棚に牛の塑像が並べられていたの見た…。「地蔵尊の東向き」や神社本殿が北向きに建立されるのは珍しく!?、
”北拓き天王さん”とも呼ばれた。社殿前の狛犬について以前のブログ細工人 野村の伊助:銘のある舟城神社(春日町)の狛犬にもふれたが、伊助は初代難波金兵衛。出身地:春日町野村から現:柏原町大新屋に移った初代金兵衛(伊助)の作品なのか!!?。奉納の銘は安政4年(1857)なので!!、とても50代を過ぎた石匠の
金兵衛が”伊助”銘で彫った作品とも思えないが?。神社創建は文安3年(1446)御祭神に須佐之男命を勧進・万治元年(1658)再建。彫刻は素晴らしく柏原:中井一統(宮大工4代目彫刻師初代)の中井言次(君音)定忠(享保7年(1722)-天明7年(1787没))の手になり、神社は江戸中期以後にも再再建・改修されてきたものか?。
木鼻の唐獅子は爪まで尖らせて、高くて見え辛い位置にある「牡丹」等の華にも外面だけでなく籠彫されて内部まで透かし彫りされている。躍動感溢れる獅子や亀・鳳凰や鶴が舞う。本殿背後の八柱社にも龍や木鼻には兎、脇障子には中国故事ではなく日本の故事題材の「養老の水?…」等・後世の彫刻作品がある。
ウサギは月の化身であり神聖の象徴として山の神の使いや乗り物とする伝承もある。月読命(豊産祈願)や大己貴命(大国主命)・御食津神(五穀豊穣)などを祭神とし、祭神の性格からウサギを神の使いとするところは多い。平安時代「延喜式」に「…白兎、月之精也…」との記述がみられ、また「金烏玉兎」という言葉もあり、江戸時代までは朝廷のハレの儀式に日月を表す幟を必ず立て、この幟には金烏と玉兎がそれぞれ太陽と月の象徴として描かれていたという。 Wikipedia参照…
標識の北方:天王坂を望む方向にも舟城神社がある。二つの”フナキ神社”を分ける中程:黒井川の傍に在る船木小学校の旧HP(10数年前)に茂兵衛の供養墓が「フナキ神社」に有るとの記事を見掛けた。うろ覚えで詳細不明だが、近松門左衛門の戯曲で知られる”おさん茂兵衛”の茂兵衛の郷里が春日町山田村…で舟城神社からも
近い!!距離にはある。天王坂側の舟城神社は元々(室町時代)頃まで天台宗:天王山覚王寺であり、創建年代等は不詳ながら建築造形には神仏混淆の名残を遺す神社だと云う。 祭神に素佐之男命(スサノヲノミコト)と其の八柱社(稲田姫命・天押雲命(アメノオシクモ)…等!!?が祀られる。
牛頭天王・スサノオを主祭神とする牛頭天王社で釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされ、総本社(京都八坂神社)の祇園信仰から”祇園さん”とも舟城の天王さんとも呼ばれ親しまれてきた。丹波地方では知られた牛頭天王社は昭和30年代までは遠路(北播磨や旧福知山市方面!!?)からの参詣者もあった牛馬等の守護神だが、
牛馬を使用しての農耕が廃れてくると近隣農家・畜産業者等の参拝者は少なくなっていったが、牛の塑像を安産・交通安全・合格祈願等のお守りとし、新しい像と共に翌年には納める…風習があり、納所の棚に牛の塑像が並べられていたの見た…。「地蔵尊の東向き」や神社本殿が北向きに建立されるのは珍しく!?、
”北拓き天王さん”とも呼ばれた。社殿前の狛犬について以前のブログ細工人 野村の伊助:銘のある舟城神社(春日町)の狛犬にもふれたが、伊助は初代難波金兵衛。出身地:春日町野村から現:柏原町大新屋に移った初代金兵衛(伊助)の作品なのか!!?。奉納の銘は安政4年(1857)なので!!、とても50代を過ぎた石匠の
金兵衛が”伊助”銘で彫った作品とも思えないが?。神社創建は文安3年(1446)御祭神に須佐之男命を勧進・万治元年(1658)再建。彫刻は素晴らしく柏原:中井一統(宮大工4代目彫刻師初代)の中井言次(君音)定忠(享保7年(1722)-天明7年(1787没))の手になり、神社は江戸中期以後にも再再建・改修されてきたものか?。
木鼻の唐獅子は爪まで尖らせて、高くて見え辛い位置にある「牡丹」等の華にも外面だけでなく籠彫されて内部まで透かし彫りされている。躍動感溢れる獅子や亀・鳳凰や鶴が舞う。本殿背後の八柱社にも龍や木鼻には兎、脇障子には中国故事ではなく日本の故事題材の「養老の水?…」等・後世の彫刻作品がある。
ウサギは月の化身であり神聖の象徴として山の神の使いや乗り物とする伝承もある。月読命(豊産祈願)や大己貴命(大国主命)・御食津神(五穀豊穣)などを祭神とし、祭神の性格からウサギを神の使いとするところは多い。平安時代「延喜式」に「…白兎、月之精也…」との記述がみられ、また「金烏玉兎」という言葉もあり、江戸時代までは朝廷のハレの儀式に日月を表す幟を必ず立て、この幟には金烏と玉兎がそれぞれ太陽と月の象徴として描かれていたという。 Wikipedia参照…
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