新才城2 丹波市
R176号線(柏原多田バイパス道ではなく福知山線沿い)はJR石生駅手前・水分れ交差点でR175号線(此処も多田バイパス道稲継交差点)から城山トンネルを抜ける新道?ではなく、石生新町・穂壷城の支城横田城<カンジュウジ城>への登山口側を抜け水分れ交差点に合流する。
新才城主郭(北斜面より土塁虎口部を望む)
新才城主郭(北斜面より土塁虎口部を望む)
水分れ交差点付近から、JR沿いのR176号と城山トンネルを抜けるR175号が合流する坂交差点付近までが、両側を丘陵に囲まれ黒井盆地に入る最も狭い南西の玄関口。黒井城の咽喉元にあたる攻防ともに最重要拠点でもあり、丹波攻略の明智軍による黒井城攻めには、丹波に入ったことの無い秀吉が明智の援軍として此処に陣を置いた伝承があるが、秀吉の義弟:羽柴秀長の陣城となったか?。
東斜面の同心円状曲輪群
東斜面の同心円状曲輪群
西丘陵上の横田城に呼応するように、水分れ公園側の東丘陵に在る石生西河原城と朝日城背後の山頂(向山連山の一)・四ノ山に天ヶ嶽砦が黒井城監視の砦として・黒井城砦群を付城として利用されたものか?。天ヶ嶽砦の山麓R175号の石才交差点真北約800mの新才郵便局・JAのあるT字辻の北西低丘陵部に新才城があり、野山城から東方の黒井城に向かう街道筋(篠山方面から国領側へ越え但馬方面へは
新才城主郭西面尾根続きの切岸此の街道筋を天王坂か、新才から北の牛河内(牛河内砦からは黒井城の西北背後を窺える位置に在る)から南由良へ越えるのが短絡道なので、両街道筋分岐点の新才に通行監視砦が在ったかも?。新才城遺構の状況からは黒井城を望む東斜面にのみ同心円状の段曲輪を5-6段築き最上部に切岸は低いが円状主曲輪をもち、北側からの土塁虎口が通じており、黒井城攻略の為だけの向城として、また将兵の駐屯地の様な縄張り…!!。
新才城主郭西面尾根続きの切岸此の街道筋を天王坂か、新才から北の牛河内(牛河内砦からは黒井城の西北背後を窺える位置に在る)から南由良へ越えるのが短絡道なので、両街道筋分岐点の新才に通行監視砦が在ったかも?。新才城遺構の状況からは黒井城を望む東斜面にのみ同心円状の段曲輪を5-6段築き最上部に切岸は低いが円状主曲輪をもち、北側からの土塁虎口が通じており、黒井城攻略の為だけの向城として、また将兵の駐屯地の様な縄張り…!!。
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