丹波布展Vol.3 丹波市柏原町

ル・クロ丹波邸(旧大手会館)を出た所で10人程の団体が此方に向かってくる。向こうから応えている人たちにアレッ!!…やっと気付いた様。市内の聾の人達の集い?妻の知合いばかりで懐かしそう。健常者は妻の青垣町サークルのリーダさん一人。ル・クロのバイキングコース(2F!?)を済ませ市内散策後引返してきたところ。
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柏原町のリーダーさん(妻も一時期お世話になった旧大手会館が集会所だった)にも偶然逢い丹波布展にも寄ってきた。丹波布の工芸士でもあり柏原町内の旧西垣和子邸での丹波布展Vol.3(2015年5月8-10日)に出展・布展スタッフの一人でもある。織田信長を祀る全国三社の一建勲神社側に”案内板”があり南向かいに方形区割された織田藩武家屋敷群のあった一角・築100年以上?の町屋(西垣邸)が会場。   
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丹波布技術認定者らによる丹波布の反物や丹波布のコースター・ランチョンマット・財布等の小物展示販売・丹波布端切れを使った”包みボタン作り”ワークショップも行なわれ、壁塀に囲まれた前栽(家屋の前庭)もあるので庭も楽しめる。近くには町屋・武家屋敷を利用したレストランもあるので篠山まちなみアートフェスティバルの様なイベントも企画されれば…と今後を期待したい
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江戸時代末期に始まる丹波布は明治の末頃まで佐治木綿とか佐治紬・しまぬき(佐治縞貫<縞緯>)と呼ばれ、丹波市青垣町佐治の地を中心として農家によって盛んに織られ愛用されてきたが、佐治木綿も紡績糸が使われるようになり機械織機による大量生産に押され、手技は急速に失われていき大正末期頃には途絶え「幻の布」と呼ばれるようになっていた。
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畑からとれる綿を紡いで糸とし榛(ハン)の木やヤマモモの木の皮・こぶな草(田圃の畦等にあったが近年殆ど見掛けなくなった…!!)・栗の実の皮・藍等で、妻とは知合いの工芸士(福祉サークルのリーダーもしておられる)さんは大量の玉葱の皮で!!…、天然染料の草木で染めそれを手織する。原料から製品まで全ての行程を一貫した手作業が一人で行なわれ、どれをとってみても生きた暖かい手が作用しているのが丹波布の特徴で材料の糸の柔らかさ・控えめで物静かな色調・それでいてほのぼのとしたあたたかさを訴える。大正末期:民芸運動の指導者柳宗悦氏により京都の朝市で見出された一種の布が「静かな渋い布」と讃えられ”丹波布”と名付けられた。
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丹波布研究は柳氏から上村六郎氏に継承され指導の下:足立康子さん(丹波布復興協会を結成し、技術の保存と伝承に尽くされた第一人者だったが昨2014年死去された)等によって昭和29年(1954)その第1号の織り上げられ再興した。縦糸と横糸の織り成す美しい縞柄・ところどころ白くひかる絹のつまみ。それは単純である・単純だから想いめぐらす余地がある。国の無形文化財に選ばれ(昭和33年)地元に丹波布技術保存協会が設立され会員がその技術向上と伝承に努力を重ねている。


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