柏原藩織田まつり 2015 丹波市

柏原藩織田まつりと「丹波かいばらうまいもんフェスタ」が2015年10月12日に行なわれた。昨年は台風上陸に重なり中止され残念だったが、今年はなんとは雨に見舞われる事もなく無事終了した。例年なら「うまいもんフェスタ」がまつり前日から二日間だが今年は12日当日だけだったか?。織田神社のある古市場の北・柏原八幡神社の西麓(西市庭?の駐車場・市商工会館南側一帯にイベント舞台を設け、市内各店舗や味覚市・野菜市等ブースが並ぶ。
   武者行列の終点となる織田神社・木の根橋前・正面奥は柏原八幡神社
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元来は全国に三社しかない織田信長を祭神とする建勲神社の例祭として始められたのが柏原藩織田まつりだが柏原藩陣屋を発つた武者行列が神戸地方裁判所・税務署と柏原法務総合庁舎間の抜けた車道の先:西北角に建勲神社の鳥居・其の奥に小さな社が鎮座するが…行列はそのまま参道前を素通りしていくよう?…建勲神社祭礼で武者行列が行なわれた時にも、織田藩最後の藩主信親公の孫にあたる信和氏と長男信孝氏が参列されている。今回参列の信孝氏は信包(信長の弟)ではなく信長の二男?信雄直系の第18代当主。
  織田藩陣屋にて出陣前のセレモニー(今年で2回目?:薩南塩釜流居合道実演中)
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ホームページと併用してUターン後にブログも開設した2007年からズッと続けてきただけに、だんだん採り上げる話題も重複を避けると尽きはじめた。過去のブログ ↓
柏原:織田まつり 2007 https://tanbakirinosato.seesaa.net/article/200710article_7.html
柏原藩織田まつり 2008 https://tanbakirinosato.seesaa.net/article/200810article_5.html
柏原藩織田まつり 2012 https://tanbakirinosato.seesaa.net/article/201210article_16.html
柏原藩織田まつり 2013 https://tanbakirinosato.seesaa.net/article/201310article_12.html
 詳細ホームページ  ↓
柏原藩陣屋 http://tanbakiri.web.fc2.com/TANBA-yuzurihayama-docu.htm
柏原藩織田まつり http://kirinosato.fc2web.com/kaibara-odahan-Fes.htm   
 長屋門でイベントを見守る特別ゲストの信包公・浅井三姉妹役が行列に花を添える
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柏原藩織田まつり 2008には山城仲間の一人が大阪城で段ボール甲冑作成に参加しており、彼女を通じて「大阪城鉄砲隊(堺鉄砲研究会)」のまつり参加で、紹介してもらっていた夢計斎(K氏)にも会い鉄砲隊のS会長(火縄銃等・銃器研究家として度々TVでも解説で見掛けるが…)の金色に輝く甲冑と織田家の紋入り陣羽織を着けられた姿が印象に残る。その後も一度鉄砲隊出演に夢計斎氏には会えなかったが、S会長の変わらぬ元気なお姿を拝見した。  
  藩陣屋長屋門前にて法螺貝吹鳴での出立式
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以後大阪鉄砲隊の出演は叶わなかった様だが、柏原藩陣屋出立前のセレモニーや「うまいもんフェスタ」の特設会場でのイベントに、槍術・居合い・柏原藩陣太鼓と播磨のxx流法螺貝愛好会の参加は武者行列の出陣の演出効果とも相俟って続けて参加されると思われます!!?。
2010年にはに翌2011年から始まる大河ドラマ江姫(三代将軍家光の母)により茶々・初・江の浅井3姉妹(浅井長政<日本五大山城の一小谷城城主>とお市の方<信長の妹>)も登場させ時代行列を盛り上げる。
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尾張大野城主:佐治与九郎が「江」の最初の夫君。柏原町に”お江与”と関連つける所縁はないと思えるが前期織田家の信包(のぶかね)【伊勢:安濃津城主】は浅井家滅亡後:お市の方・浅井三姉妹を10数年?養育している。与九郎は秀吉命により「江」を妻とし織田信長・信雄に仕えているが、秀吉により江と離縁させられ、やがて信包を頼り柏原に移ってくると参勤交代等で留守を守る柏原範筆頭家老ともなる。
 派手な演出がないだけに・むしろズシッと重い再現性は感動もの!!
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二代将軍の正室となっている「江」のいる江戸に付き従うには辛いものが…!!…とはいえ前期三代の終えた織田家は禄高で城は持てず、居館ともなる陣屋も立てられず、領内庄屋宅等を仮住まい…藩陣屋が建ったのは天領期を挟んで後期織田家の信休が宇陀郡松山城から転封されて以後・更に19年後:やっと幕府から許可を得て正徳3年(1713)に完成をみる。
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歴史はともかくとして…信長の弟織田信包を柏原藩初代藩主として迎えての「藩祖信包武者行列」が柏原の街中を練り歩きます。鳴りものは法螺貝と単調だが印象に残るドンドン・カッカ ドンドン・カッカ…と響き渡る太鼓に調子を合わせ足並みを揃えて進む。
  山陰道鎮撫の西園寺公望本陣ともなった西楽寺前にて
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挟み箱と毛槍の持ち手と受け手の奴を先頭に、子供武者・大人の武者・今年は織田家第18代当主の織田信孝氏が柏原藩先祖の信包役で出演。側に浅井三姉妹の茶々・初・江に扮した女性達が行列に華を添え、総数約100名の武者行列が嘗ての武家屋敷や商家筋の町内を練り歩いた。当初のコース変更や時間等も短くなったようだが。


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