有安城 綾部市
綾部市の府道1号線上林川沿いの奥上林地区には、中上林地区境界の丘陵末端部に弓削城/二王公園/あやべ温泉側に山内城、山内城の東と長野城の北東には有安城が在り、此の三城が上林川沿いに走る府道1号線(若狭街道)を挟んでトライアングル状構成で呼応する位置にあり、且つ要衝の街道筋から城址への分岐点に上市場・下市場の名がある。
尾根西先端ピークの有安城主郭!?更に府道1号線沿い奥上林地区の北端に神子谷城があるが城史一切は未訪なので其の概要も不詳だが、当地域の一領主の城とは思えず…?、若狭方面からの侵攻に対する最前線基地か?も不明。今回訪ねた有安城についても丘陵西に落ち込む尾根先端Ca290mピークの状況を見ただけの判断です。【綾部市遺跡地図では尾根続きの313m峰までを城範囲とされている様だが城域ピークからの激急斜面下降は10数mと思えるが、290mピークまでのトレースしていない】
有安城から君尾山・若狭街道(府道1号)を望む急斜面の直登は藪漕ぎに奮闘することもなく、比較的らくに?城域の山頂近くの空堀に着いた。埋もれかけの空堀は直ぐ斜面に落ち込むが登城ルートとも思えない位置に片堀切も、防備施設の竪堀とも思えず?…砦監視の将兵脱出シューター用と思えば此の空堀も利用価値はあるのかも?。
腰曲輪の西端から落ちる空堀(竪堀!?)空堀の落口から山頂部までは比高6-7m程・自然地形のままで段差も定かでないが極小曲輪と思える部分も?あるが、肝心の主郭と思える頂部は経僅か10mに満たない程の円墳状!!。寧ろ頂部までの曲輪?とは無縁の様なきれいに削平された腰曲輪のほうが主曲輪?。この腰曲輪の西端から空堀(片堀切とも竪堀とも思えない?)が落ちる。
腰曲輪から比高約6-7mの最高所へは段差不明確だが小曲輪らしいところも…上林川は奥上林地区の有安城の西から北上流へと大きく蛇行しながら、山間を若狭国境へ遡上してゆく。現状:極小規模の縄張りからは、円墳状の最高所を狼煙台:腰曲輪は南方:草部川沿い南丹市や京丹波町へ越える間道?の通行監視や狼煙の用途選別された薪類の積み置場?。「知らせの城」の監視と狼煙場の砦とおもえたが、城史一切不詳の城砦で・遺構残存状況の不確かさからも・単に推定の域を出ないが。
尾根西先端ピークの有安城主郭!?更に府道1号線沿い奥上林地区の北端に神子谷城があるが城史一切は未訪なので其の概要も不詳だが、当地域の一領主の城とは思えず…?、若狭方面からの侵攻に対する最前線基地か?も不明。今回訪ねた有安城についても丘陵西に落ち込む尾根先端Ca290mピークの状況を見ただけの判断です。【綾部市遺跡地図では尾根続きの313m峰までを城範囲とされている様だが城域ピークからの激急斜面下降は10数mと思えるが、290mピークまでのトレースしていない】
有安城から君尾山・若狭街道(府道1号)を望む急斜面の直登は藪漕ぎに奮闘することもなく、比較的らくに?城域の山頂近くの空堀に着いた。埋もれかけの空堀は直ぐ斜面に落ち込むが登城ルートとも思えない位置に片堀切も、防備施設の竪堀とも思えず?…砦監視の将兵脱出シューター用と思えば此の空堀も利用価値はあるのかも?。
腰曲輪の西端から落ちる空堀(竪堀!?)空堀の落口から山頂部までは比高6-7m程・自然地形のままで段差も定かでないが極小曲輪と思える部分も?あるが、肝心の主郭と思える頂部は経僅か10mに満たない程の円墳状!!。寧ろ頂部までの曲輪?とは無縁の様なきれいに削平された腰曲輪のほうが主曲輪?。この腰曲輪の西端から空堀(片堀切とも竪堀とも思えない?)が落ちる。
腰曲輪から比高約6-7mの最高所へは段差不明確だが小曲輪らしいところも…上林川は奥上林地区の有安城の西から北上流へと大きく蛇行しながら、山間を若狭国境へ遡上してゆく。現状:極小規模の縄張りからは、円墳状の最高所を狼煙台:腰曲輪は南方:草部川沿い南丹市や京丹波町へ越える間道?の通行監視や狼煙の用途選別された薪類の積み置場?。「知らせの城」の監視と狼煙場の砦とおもえたが、城史一切不詳の城砦で・遺構残存状況の不確かさからも・単に推定の域を出ないが。
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