丹波の森公苑  丹波市柏原町

JR福知山線柏原駅前から1つ西の分岐を左折し踏切を渡る次の信号交差点を左折すると”丹波の森公苑へ、右手に独立丘陵の小南山・車道の正面奥に柏原病院があり、柏原病院から小南山の西山麓の小峠(恩鳥峠)を越える。近松門左衛門の狂言「大経師昔暦」や「恋八卦柱暦」 ・井原西鶴「好色五人女・大経師おさん」の文楽で一躍世に知られることとなったおさん茂兵衛、明智光秀[高見城攻め]による監視所茶臼山砦(消滅?)の「悟の山」の伝承地がある。
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高見城の丹波勢が明智の柏原本陣へ出撃しているが一度は?此の小峠付近で両軍の合戦があり、丹波勢が優勢だった様だが戦死者を弔う地蔵尊が柏原病院から室谷集落への途中にある。坊の奥へのルートになりそうだが此の坊の奥からの稜線が”丹波の森公苑”背後へ続く。尾根筋から”丹波の森公苑”への下山ルートを見送り、更に東へ下る尾根筋が金水寺城(仮称)にも繋がる。
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丹波の森公苑は桜よりツツジの名所?。公苑内一帯は桜の時期既に盛りを過ぎていたがコバノミツバツツジやモチツツジの群生がみられ、次の花期ツツジ・更に山百合…と続くのかな!!。”つつじケ丘”のある公苑東丘陵の東面山麓・北中地区の最奥に柏原藩織田家菩提の成徳寺 )がある。前期柏原藩初代藩主織田信包(;織田信長の弟)が帰依し信則・信勝と三代続くが 信勝は28歳で亡くなり、継嗣無く改易された後:45年のあいだ天領(幕府直轄領)となっていたが、大和宇陀から織田信休(のぶやす)が柏原藩に移封され:後期織田家初代となります。
 三原古墳10号墳?(中央の石組み)
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丹波の森公苑は豊かな里山の緑に囲まれたフイールドの中での文化・スポーツ・レクリエーション活動の場。園内から背山を縦走する登山コース、園内散策コース中には三原古墳群がある。散策道(車道)を挟んで三原古墳10号墳?の向かいにはカブトムシ・ギフチョウの観察養殖!?場(ネットで囲まれている)があった。
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