松本城 (Paper Craft)

精密スケールの”松本城 (Paper Craft)”を見つけ気分転換に!?作ってみることに・・・完成結果は松本城伝説通り?の少し傾いた天守閣になってしまったが…さすがは昭和5年(1930)国史跡・松本城天守群は昭和11年(1936)には大天守・乾小天守・渡櫓・辰巳附櫓・月見櫓の5棟が国宝に指定されており、もっと丁寧に作成すれば部屋のインテリアとしても映えるのだが
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国宝松本城<平城: 長野県松本市丸の内>は築城時期不詳だが信濃守護・小笠原氏が本拠の林城(松本市里山辺?に在った山城)を築城し、其の一族・島立氏が支城の一つとして永正年間(1504-21)頃:深志城を築いたのが始まり。天文年間(1532-55)甲斐の武田信玄が松本に入ると、北信濃へ出兵のBC(基地)として深志城を整備。武田氏が滅ぶと小笠原氏が旧領を回復し松本城と改名します。
   正面!!から
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天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原征伐の結果・小笠原氏に代わり入城した石川数正・康長父子により文禄2-3年(1593-4)にかけ築造されたと推察される五重六階の天守は現存する日本最古のもの。大天守と乾小天守を渡櫓によって連結される形式は名古屋城にもみられますが、松本城は戦国末期の戦いの城としての築造。此れに防備性希薄な江戸時代初期の性格の異なる辰巳附櫓と月見櫓が複合された連結複合式天守群の歴史的な特徴は国内城郭唯一のもの。
    裏(内濠側)から!!
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城の内部も粗・築城当時の姿を留めており、天守閣は姫路城等の白漆喰壁に比して、熊本城等の様に…下部は雨水で崩れるのを防ぐ為の下見板張により黒い印象から烏城とも呼ばれるが文献上に「烏城」別名の表記はないという!!。
【松本城公式・Wikipediaを参照 クラフトに解説記述無し】


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