光明寺跡 丹波市
北近畿豊岡自動車道(春日和田山道路)青垣ICを降り県道7号線を北に走ると市役所青垣支所前交差点。右折すると直ぐ遠阪川を渡る小和田橋前方の丘陵上に山垣城:足立遠政の二男遠信の小和田城がある。丘陵北西麓の八幡神社に奉納される沢野の青垣翁三番叟は県無形文化財・国指定選択芸能となっている。
岩屋山千軒の一宇?:光明寺跡加古川沿いの東側に位置して佐治地域自冶区?の川東地区。市役所青垣支所前交差点を左折し、加古川を渡ると嘗ての但馬街道・山陰道丹波最北端国境の宿場町は今も其の面影を残す佐治宿。佐治城・丹波聖人小島省斎生誕地で塾(竹西亭)、秋の恒例行事として定着した「丹波八宿 青垣の秋」も佐治来楽館(佐治地域自冶協議会事務局)を中心に展開する佐治地域自冶区の中央区。
岩屋山・竜王山中間から延び出す岩本城背後の丘陵部が気になる!!佐治宿北端:但馬道”いくの”を示す石標の東側に関大佐治スタジオが古民家(旧自転車店)再生?プロデュースによるいしやカフェがある。そのまま東へ…加古川を渡りR427の小倉交差点から遠阪峠を越え朝来市へ向かう。石道標を北へ直進・直ぐに妙法寺がある。足立遠政の下屋敷跡で小島省斎翁墓所もある。
スワッ!!堀切か…
此れより先:加古川沿いにR429号に出る付近を川西区に分けられている。川西区で先ず目を惹く小倉の十三人塚から青垣中学校(遠政上屋敷)へ向かうと西正面に岩屋山・左に竜王山を望む。黒尾神社・岩本城(足立氏丹波移封当初の居城)の背後には其の中央稜が迫り三角錐状の峰が岩屋山へと延びる。
光明寺跡からは逆打ちコース…岩本城の背後には山城が…?とトレース、低丘陵部の最低鞍部の深い溝状に堀切か?とも思えたが段々傾斜が強まるが地形からも一向に気配はなく534mピーク付近で引返し堀切状から東側に抜けると、青垣中学校背後からの林道経由で岩屋山へのハイキングコースにでた。堀切状は岩屋山を水源とする谷水の導水管。
峰を繋ぐ鞍部の空堀?状から南北の尾根上に札所が並ぶ舗装林道に出た直ぐ下方に”佐治地域自冶協議会 川西地区元気な地域づくり委員会”による大師野・新四国88所を巡るウォーキングコース案内図・説明付標識が立つところが岩屋千軒の一寺・光明寺の跡地。中学校グラウンド裏・林道入口の石仏祠と台地があって光明寺の一宇であったか?。
西国巡礼の大師と並ぶ像は少い様!?だが「鯖大師」像があった…!岩屋千軒と呼ばれるほどの寺院や光明寺については丹波志・郷土史類に該当寺の記述を探しあぐねて未だ歴史・宗派等は不明、明智光秀の丹波攻めの兵火に遭ったかも不詳。四国88ヶ所ミニ巡拝道は亨和4年(1804)竣工し山開きされた。亨保2年(1717)刻の大師立像が安置されているとあり別所から移設されたものだろうか?

岩屋山千軒の一宇?:光明寺跡加古川沿いの東側に位置して佐治地域自冶区?の川東地区。市役所青垣支所前交差点を左折し、加古川を渡ると嘗ての但馬街道・山陰道丹波最北端国境の宿場町は今も其の面影を残す佐治宿。佐治城・丹波聖人小島省斎生誕地で塾(竹西亭)、秋の恒例行事として定着した「丹波八宿 青垣の秋」も佐治来楽館(佐治地域自冶協議会事務局)を中心に展開する佐治地域自冶区の中央区。
岩屋山・竜王山中間から延び出す岩本城背後の丘陵部が気になる!!佐治宿北端:但馬道”いくの”を示す石標の東側に関大佐治スタジオが古民家(旧自転車店)再生?プロデュースによるいしやカフェがある。そのまま東へ…加古川を渡りR427の小倉交差点から遠阪峠を越え朝来市へ向かう。石道標を北へ直進・直ぐに妙法寺がある。足立遠政の下屋敷跡で小島省斎翁墓所もある。
スワッ!!堀切か…
此れより先:加古川沿いにR429号に出る付近を川西区に分けられている。川西区で先ず目を惹く小倉の十三人塚から青垣中学校(遠政上屋敷)へ向かうと西正面に岩屋山・左に竜王山を望む。黒尾神社・岩本城(足立氏丹波移封当初の居城)の背後には其の中央稜が迫り三角錐状の峰が岩屋山へと延びる。光明寺跡からは逆打ちコース…岩本城の背後には山城が…?とトレース、低丘陵部の最低鞍部の深い溝状に堀切か?とも思えたが段々傾斜が強まるが地形からも一向に気配はなく534mピーク付近で引返し堀切状から東側に抜けると、青垣中学校背後からの林道経由で岩屋山へのハイキングコースにでた。堀切状は岩屋山を水源とする谷水の導水管。
峰を繋ぐ鞍部の空堀?状から南北の尾根上に札所が並ぶ舗装林道に出た直ぐ下方に”佐治地域自冶協議会 川西地区元気な地域づくり委員会”による大師野・新四国88所を巡るウォーキングコース案内図・説明付標識が立つところが岩屋千軒の一寺・光明寺の跡地。中学校グラウンド裏・林道入口の石仏祠と台地があって光明寺の一宇であったか?。
西国巡礼の大師と並ぶ像は少い様!?だが「鯖大師」像があった…!岩屋千軒と呼ばれるほどの寺院や光明寺については丹波志・郷土史類に該当寺の記述を探しあぐねて未だ歴史・宗派等は不明、明智光秀の丹波攻めの兵火に遭ったかも不詳。四国88ヶ所ミニ巡拝道は亨和4年(1804)竣工し山開きされた。亨保2年(1717)刻の大師立像が安置されているとあり別所から移設されたものだろうか?
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