常龍寺の大公孫樹 丹波市青垣町
丹波市最西北に位置する青垣町大名草(おなざ)はR427で播州峠を越えると多可郡加美区・西脇市へ、林道の様な枯れ枝が車道を覆う程の幅狭い上り坂の続くR429 の青垣峠を越えると朝来市、銀山湖から鉱山町だった生野町に通じる国境の町。R429がR427と合流する位置で、大名草地区内に入ると大名草公民館があり、此処に愛宕山常龍蜜寺<青垣町大名草>と大公孫樹【乳の木さん】への「近畿自然歩道」導標柱が立つ。
登山口は常龍蜜寺への参道前から”愛宕山”表示もある林道入口から約1km続くが、寺の墓所からも林道に繋がる歩道がある。常瀧蜜寺の背山に在った元常瀧寺は、養老年間(717-724)法道仙人開基を伝える山岳修験の古刹で、天正5年【とあるので但馬竹田城にいた羽柴秀長軍により、遠阪峠を越え丹波攻め明智光秀の救援に侵攻してきた際か??】の兵火に遭い焼亡するまで此処にあり、堂宇跡の削平地や石積!?が残り境内跡:塔屋敷跡「いちようの段」と呼ばれるところには「法道仙人お手植」公孫樹があり、伝承通りなら樹齢1300年!?を経るが、凡そ8-900年程?…。
どちらにしても風雪を耐え・今なお樹勢盛んな樹高30m・幹周り約11mは県下第一の巨木(天然記念物<町指定・昭和51年12月9日><県指定・大正14年・平成5年3月26日>。落雷で燃え炭化した空洞があり、枯れかけている様にも見える主幹からは瘤状の気根が乳房のように垂れ下がる奇観を呈している。[乳の木」さんと呼ばれ母乳の出の少ない人が、此の木の皮を煎じて飲むと効果があるとの霊験から信仰をあつめていたという…。
主幹の巨体から真横に延びる枝に垂れる巨乳の、枝の先が地中に根をおろして、此処に芽を吹き今は其の巨乳を支える様な貌に”ひこばえ”【”株立ち”は三方の大カツラで観られる】が二本?ほど立つが・此れも結構な巨樹で、訪れる人も居ない山中にあっては荘厳というより奇異で霊気を漂わせる不気味ささえ感じる。さらには「乳の木」ならぬ実の生らぬ雄の(父の木)さん!!です。
元常瀧寺は江戸時代:天和年間(1681-4)に光覚法印により中興されるまでの記録はないが山号を石光山を称したが、京都愛宕より特別に愛宕山の山号を受け、現在の愛宕山常龍蜜寺に至っている。光覚法印の法験著しく・紀州徳川家の側室病気平癒を祈願・その功績により、側室の念持仏(大日如来像・台座に葵紋)を下賜され、以来常龍寺本尊として祀られている。
現在の寺:常龍蜜寺は4度目の移転で、明治5年に焼失したが同7年には再建され現在に至っている。大名草集落内からも大樹の銀杏ノ木と、愛宕権現社を祀ったとされる錫杖岩が望まれるようだ。常龍蜜寺前の登山口から林道然とした緩やかな坂道も、谷筋の滝場前で折れ【此の辺りが4丁なので山の斜面上に猩々岩があり?、神仏混交時代までは毘沙門堂や愛宕の鳥居があったところか?】、
此れより路肩も崩れ、やがて荒れたハイキング道となり、石仏丁石(6丁・7丁が遺る)を過ぎると足元は少し泥濘・下草藪を付いて抜けると大公孫樹30m程手前。休憩小屋の南?下平坦地に着く。車3台程が置ける場所。ふるさと創生事業(1988-89)によって?、地元自治会等による協賛ボランティア奉仕活動もあって、公民館の少し北側より、登ってきたルートに合流する車侵入可の林道として改修された…
が僅か数年後の台風被害により車道は部分崩壊で車使用不可となり…バブル期後は道路補修されることなく捨て置かれた様で、往時の様相は想像さえできない。変わらないのは・寺院跡の藪の平坦地に入り込めば、熱烈歓迎のヤマビルの大歓待を受けることだけ?。林道が通じていた頃訊ねた際は:岩屋山への縦走ルートを確認したかったが、ヤマヒルの餌食となり退散した…
【常龍寺の大公孫樹と常瀧寺縁起は境内の案内板を参照】 地図でポイント表示できないので位置は大体この辺だろう…?

登山口は常龍蜜寺への参道前から”愛宕山”表示もある林道入口から約1km続くが、寺の墓所からも林道に繋がる歩道がある。常瀧蜜寺の背山に在った元常瀧寺は、養老年間(717-724)法道仙人開基を伝える山岳修験の古刹で、天正5年【とあるので但馬竹田城にいた羽柴秀長軍により、遠阪峠を越え丹波攻め明智光秀の救援に侵攻してきた際か??】の兵火に遭い焼亡するまで此処にあり、堂宇跡の削平地や石積!?が残り境内跡:塔屋敷跡「いちようの段」と呼ばれるところには「法道仙人お手植」公孫樹があり、伝承通りなら樹齢1300年!?を経るが、凡そ8-900年程?…。
どちらにしても風雪を耐え・今なお樹勢盛んな樹高30m・幹周り約11mは県下第一の巨木(天然記念物<町指定・昭和51年12月9日><県指定・大正14年・平成5年3月26日>。落雷で燃え炭化した空洞があり、枯れかけている様にも見える主幹からは瘤状の気根が乳房のように垂れ下がる奇観を呈している。[乳の木」さんと呼ばれ母乳の出の少ない人が、此の木の皮を煎じて飲むと効果があるとの霊験から信仰をあつめていたという…。
主幹の巨体から真横に延びる枝に垂れる巨乳の、枝の先が地中に根をおろして、此処に芽を吹き今は其の巨乳を支える様な貌に”ひこばえ”【”株立ち”は三方の大カツラで観られる】が二本?ほど立つが・此れも結構な巨樹で、訪れる人も居ない山中にあっては荘厳というより奇異で霊気を漂わせる不気味ささえ感じる。さらには「乳の木」ならぬ実の生らぬ雄の(父の木)さん!!です。
元常瀧寺は江戸時代:天和年間(1681-4)に光覚法印により中興されるまでの記録はないが山号を石光山を称したが、京都愛宕より特別に愛宕山の山号を受け、現在の愛宕山常龍蜜寺に至っている。光覚法印の法験著しく・紀州徳川家の側室病気平癒を祈願・その功績により、側室の念持仏(大日如来像・台座に葵紋)を下賜され、以来常龍寺本尊として祀られている。
現在の寺:常龍蜜寺は4度目の移転で、明治5年に焼失したが同7年には再建され現在に至っている。大名草集落内からも大樹の銀杏ノ木と、愛宕権現社を祀ったとされる錫杖岩が望まれるようだ。常龍蜜寺前の登山口から林道然とした緩やかな坂道も、谷筋の滝場前で折れ【此の辺りが4丁なので山の斜面上に猩々岩があり?、神仏混交時代までは毘沙門堂や愛宕の鳥居があったところか?】、
此れより路肩も崩れ、やがて荒れたハイキング道となり、石仏丁石(6丁・7丁が遺る)を過ぎると足元は少し泥濘・下草藪を付いて抜けると大公孫樹30m程手前。休憩小屋の南?下平坦地に着く。車3台程が置ける場所。ふるさと創生事業(1988-89)によって?、地元自治会等による協賛ボランティア奉仕活動もあって、公民館の少し北側より、登ってきたルートに合流する車侵入可の林道として改修された…
が僅か数年後の台風被害により車道は部分崩壊で車使用不可となり…バブル期後は道路補修されることなく捨て置かれた様で、往時の様相は想像さえできない。変わらないのは・寺院跡の藪の平坦地に入り込めば、熱烈歓迎のヤマビルの大歓待を受けることだけ?。林道が通じていた頃訊ねた際は:岩屋山への縦走ルートを確認したかったが、ヤマヒルの餌食となり退散した…

【常龍寺の大公孫樹と常瀧寺縁起は境内の案内板を参照】 地図でポイント表示できないので位置は大体この辺だろう…?
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