石龕寺もみじ祭り 丹波市
今年(2016.11.20)も昨年同様・前日から雨模様…{早朝までシトシト…
…だったが、恒例:足利尊氏所縁の(第27回)石龕寺もみじ祭り。先ずは”JAふれあいまつり”が開催されており、石龕寺までの送迎無料シャトルバスが発着するJA山南支店の丹波市一広い大駐車場に向かう。
山門(国宝の仁王像が納まる茅葺きの頃が懐かしいが!!)からは足利尊氏も下馬して…
今までは:足利尊氏・義詮父子が武運・戦勝を祈願して石龕寺の毘沙門堂に参内する様子を表す”武者行列”がスタートする日吉神社に行き、石龕寺からの帰りにJAひかみ山南支店に寄るつもりだったが…今日の「まつり」には見物を兼ねての来客があり、つい長話に家を出るのが遅れ、武者行列は既に日吉神社を出発した後。
幸い曇天だが雲は薄くなり雨になる心配も少なくなってきた。日吉神社背後の岩磐には至山稲荷が遷されているが元:至山山麓に祀られていた至山稲荷(石積等の跡が残る)で、足利尊氏が必勝を祈願した所といわれ、此処より播磨ー九州へと向かい再興を期し都に攻め上り大勝している。その際:おかげ参詣したかは知らないが!!?。
石龕寺へ向かう武者行列が毘沙門天を祀るお堂に、報告する形での参詣なので其の様子を映したものか?。石龕寺は山南町の三山・丹波市のもみじ三山として市の観光パンフには必ず登場の紅葉の名所・古刹です。
紅葉は毘沙門堂から見下ろす眺めが最高!!
武者行列では昨年:騎馬武者の足利義詮役には英語授業担当の外国人教師だったが、今年は従者の徒士武者には女性を含む6-7人の外国人の参加と其の付添い同僚?や、町内に就労の外国人の祭り見物・福引きに参加、夫々景品を手にして喜々として持ち帰る姿が目立った。
石龕寺の由緒・足利尊氏が都(京都)を追われた二度とも、玉巻城の久下氏を頼って石龕寺に逃れた事や足利父子や子:義詮による”ててうち栗”の伝説の事。背後の山上:奥の院には「足利将軍屋敷跡?(子の義詮が仁木頼章<後に初期丹波守護>や、 焼尾神社から望む毘沙門堂
久下氏<山名氏の元で丹波守護代を任めた>)に護られ、尊氏上京まで此処に留まっている)や、最高所の岩屋山には信長の丹波攻めに落城した広沢綱忠の岩屋城(石龕寺城)があった。岩屋城の支城・出曲輪と思える井原城館(井原北東の小屋の屋敷)が武者行列スタート地点:石龕寺から南へ延びる尾根の最南端に位置する日吉神社背後の丘陵部にある。
寺に至る岩屋道・金屋道に残る30基近い町石群が遺されていることは国内にも数少い貴重な史跡です。過去のブログ内容にも記しているので、参考にしていただければさいわいです。
過去の石龕寺もみじまつり レポート ↓
もみじ祭りⅦ 2015年 https://tanbakirinosato.seesaa.net/article/201511article_12.html
もみじまつりⅥ 2014年 https://tanbakirinosato.seesaa.net/article/201411article_17.html
2013年西脇市官兵衛まつり https://tanbakirinosato.seesaa.net/article/201311article_15.html
石龕寺もみじまつり同日開催の荘厳寺官兵衛まつりに観光バスで繋ぐ観光客も…
石龕寺の紅葉は此処から…中央奥に岩屋山(城址と廃された砕石場)
もみじまつりⅤ 2012年 https://tanbakirinosato.seesaa.net/article/201211article_16.html
もみじまつり Ⅳ 2011年 https://tanbakirinosato.seesaa.net/article/201111article_13.html
もみじ祭りⅢ 2010年 https://tanbakirinosato.seesaa.net/article/201012article_5.html
も みじ祭りⅡ 2009年 https://tanbakirinosato.seesaa.net/article/200911article_10.html
もみじ祭Ⅰ 2007年 https://tanbakirinosato.seesaa.net/article/200711article_18.html


山門(国宝の仁王像が納まる茅葺きの頃が懐かしいが!!)からは足利尊氏も下馬して…
今までは:足利尊氏・義詮父子が武運・戦勝を祈願して石龕寺の毘沙門堂に参内する様子を表す”武者行列”がスタートする日吉神社に行き、石龕寺からの帰りにJAひかみ山南支店に寄るつもりだったが…今日の「まつり」には見物を兼ねての来客があり、つい長話に家を出るのが遅れ、武者行列は既に日吉神社を出発した後。
幸い曇天だが雲は薄くなり雨になる心配も少なくなってきた。日吉神社背後の岩磐には至山稲荷が遷されているが元:至山山麓に祀られていた至山稲荷(石積等の跡が残る)で、足利尊氏が必勝を祈願した所といわれ、此処より播磨ー九州へと向かい再興を期し都に攻め上り大勝している。その際:おかげ参詣したかは知らないが!!?。
石龕寺へ向かう武者行列が毘沙門天を祀るお堂に、報告する形での参詣なので其の様子を映したものか?。石龕寺は山南町の三山・丹波市のもみじ三山として市の観光パンフには必ず登場の紅葉の名所・古刹です。
紅葉は毘沙門堂から見下ろす眺めが最高!!

武者行列では昨年:騎馬武者の足利義詮役には英語授業担当の外国人教師だったが、今年は従者の徒士武者には女性を含む6-7人の外国人の参加と其の付添い同僚?や、町内に就労の外国人の祭り見物・福引きに参加、夫々景品を手にして喜々として持ち帰る姿が目立った。
石龕寺の由緒・足利尊氏が都(京都)を追われた二度とも、玉巻城の久下氏を頼って石龕寺に逃れた事や足利父子や子:義詮による”ててうち栗”の伝説の事。背後の山上:奥の院には「足利将軍屋敷跡?(子の義詮が仁木頼章<後に初期丹波守護>や、 焼尾神社から望む毘沙門堂
久下氏<山名氏の元で丹波守護代を任めた>)に護られ、尊氏上京まで此処に留まっている)や、最高所の岩屋山には信長の丹波攻めに落城した広沢綱忠の岩屋城(石龕寺城)があった。岩屋城の支城・出曲輪と思える井原城館(井原北東の小屋の屋敷)が武者行列スタート地点:石龕寺から南へ延びる尾根の最南端に位置する日吉神社背後の丘陵部にある。
寺に至る岩屋道・金屋道に残る30基近い町石群が遺されていることは国内にも数少い貴重な史跡です。過去のブログ内容にも記しているので、参考にしていただければさいわいです。
過去の石龕寺もみじまつり レポート ↓
もみじ祭りⅦ 2015年 https://tanbakirinosato.seesaa.net/article/201511article_12.html
もみじまつりⅥ 2014年 https://tanbakirinosato.seesaa.net/article/201411article_17.html
2013年西脇市官兵衛まつり https://tanbakirinosato.seesaa.net/article/201311article_15.html
石龕寺もみじまつり同日開催の荘厳寺官兵衛まつりに観光バスで繋ぐ観光客も…
石龕寺の紅葉は此処から…中央奥に岩屋山(城址と廃された砕石場)
もみじまつりⅤ 2012年 https://tanbakirinosato.seesaa.net/article/201211article_16.html
もみじまつり Ⅳ 2011年 https://tanbakirinosato.seesaa.net/article/201111article_13.html
もみじ祭りⅢ 2010年 https://tanbakirinosato.seesaa.net/article/201012article_5.html
も みじ祭りⅡ 2009年 https://tanbakirinosato.seesaa.net/article/200911article_10.html
もみじ祭Ⅰ 2007年 https://tanbakirinosato.seesaa.net/article/200711article_18.html
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