室谷の地蔵堂 丹波市柏原町

丹波市柏原町室谷の稲荷神社社殿の欄間を飾る「龍の彫刻」があり、神社彫刻集団の中井一党で、以前のブログにも諸所寺社彫刻でも紹介した中井権次(何代目だったか?)の手になる。柏原病院前から向かう室谷稲荷社の100m手前・住宅地の南端角に厄除地蔵尊を祀る地蔵堂が建つ。
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此の地蔵堂に着くまでに予備知識を…。R175を稲畑で県道290号へ右折し萱刈坂を越える。高見城山から尾根続きの鞍部萱刈坂からの北尾根は更に鴨野城泉山城から末端の穂壺城へと幾つもの城砦遺構を連ねている。県道290号沿いの高見城の大手道入口?に東鴨野城には高見城家臣団屋敷跡?と思える遺構が残る。その先:
      恩鳥坂(おさんの森は下方宅地部から左山際を進む)
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県道のゴルフ練習場(低丘陵部は土取で消滅した古墳跡だが・明智光秀の”諭しの山”伝承で知られる茶臼山砦があり高見城を直視できる明智方の監視所だった様!!)東角に”おさんの森”への案内標識がたつ。近松門左衛門の戯曲「おさん茂兵衛」の遺跡がある、二人が越えた恩鳥坂(柏原病院側と小南山城<左丘陵上>麓を朝来-豊岡へ抜ける但馬街道。   
   住宅街の端に祀られた地蔵尊(中央下左):正面は小南山
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”室谷の地蔵尊”は天正6年(1578)此の街道筋を金山城から攻め入る明智勢を恩鳥坂に迎え撃つ高見城・穂壷城の赤井勢が大勝して追返した”恩鳥坂の戦い”の古蹟。その際・明智方の多くの戦死者や荻野・赤井の丹波方戦死者の霊を弔い祀った地蔵尊と云われます。天正7年には柏原八幡神社を焼き払い跡地に”黒井城攻め八幡山城が”明智光秀の本陣となった。元は赤井氏の砦だった所で、高見城最後の城主赤井新五郎忠家(父は後屋城主の赤井家清・母は波多野秀治(八上城主の娘)も一度?は高見城から光秀本陣の八幡山城を攻めたが敗退している…?。


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