旧柏原町役場 丹波市
柏原藩織田家の城下町に在って、余り知られていない遺跡遺構は結構あるようだ。尤も消滅・壊滅したもの、移転等による建替え・改修で旧来の姿が喪われてしまったものも…。後期織田家6-9代にわたり家臣として仕え藩政改革に大きく寄与した儒学者で丹波聖人と呼ばれた小島省斎の藩校「崇広館」も平成21年までは遺っていた。
其の省斎旧宅が明治期に移築されたが其後に建て替えられ!!?木の根橋袂にあるのが柏原観光案内所。大江磯吉が柏原中学(現:高校)第二代校長として此処に寄宿。島崎藤村「破戒」の主人公モデルとして知られる人物で「旅愁(原曲はふるさとと母を夢見て<アメリカ作曲家>)」の作詩犬童球渓も此処に下宿。田ステの生家(丹波新聞社西付近)へも近い。奥谷川の架かる天然記念物木の根橋を挟んで北にボランティアガイドが詰める柏原観光案内所・南側には旧柏原町役場(現:丹波市役所柏原支所)が建つ。明治~昭和初期にかけて建築された丹波では?貴重な歴史的遺産価値ある文化財。藩陣屋側にあって馴染みの大手会館は明治18年(1885)の竣工。レストランやカフェの入る「たんば黎明館」としてリニューアルしている。旧高等小学校の表札が掛かるが、建物正面に残る校章や細見綾子等を輩出した柏原高等女学校としての方が有名!!。丹波市役所柏原支所旧柏原町役場は昭和10年(1935)旧柏原町役場として建設。10年程前?の補強耐震工事完了公開に見学したような記憶が!!。内部も往時の面影を残しているが東側半分は増築して連結されている様?。
木の根橋の右手建物が柏原支所老朽化による効率等支障からか…柏原支所の移転や、当建物の利活用案等が検討されているよう。柏原町のみならず「たんば観光・産業開発研鑽…等々」発信基地としての機能・施設として大いに期待できそうですネ…後期織田藩陣屋をスタートする”柏原藩織田まつり”の武者行列は柏原八幡社・前期織田藩三代を祀る織田神社・木の根橋・観光案内所・市役所柏原支所(旧柏原役場)前がフィナーレ。
其の省斎旧宅が明治期に移築されたが其後に建て替えられ!!?木の根橋袂にあるのが柏原観光案内所。大江磯吉が柏原中学(現:高校)第二代校長として此処に寄宿。島崎藤村「破戒」の主人公モデルとして知られる人物で「旅愁(原曲はふるさとと母を夢見て<アメリカ作曲家>)」の作詩犬童球渓も此処に下宿。田ステの生家(丹波新聞社西付近)へも近い。奥谷川の架かる天然記念物木の根橋を挟んで北にボランティアガイドが詰める柏原観光案内所・南側には旧柏原町役場(現:丹波市役所柏原支所)が建つ。明治~昭和初期にかけて建築された丹波では?貴重な歴史的遺産価値ある文化財。藩陣屋側にあって馴染みの大手会館は明治18年(1885)の竣工。レストランやカフェの入る「たんば黎明館」としてリニューアルしている。旧高等小学校の表札が掛かるが、建物正面に残る校章や細見綾子等を輩出した柏原高等女学校としての方が有名!!。丹波市役所柏原支所旧柏原町役場は昭和10年(1935)旧柏原町役場として建設。10年程前?の補強耐震工事完了公開に見学したような記憶が!!。内部も往時の面影を残しているが東側半分は増築して連結されている様?。
木の根橋の右手建物が柏原支所老朽化による効率等支障からか…柏原支所の移転や、当建物の利活用案等が検討されているよう。柏原町のみならず「たんば観光・産業開発研鑽…等々」発信基地としての機能・施設として大いに期待できそうですネ…後期織田藩陣屋をスタートする”柏原藩織田まつり”の武者行列は柏原八幡社・前期織田藩三代を祀る織田神社・木の根橋・観光案内所・市役所柏原支所(旧柏原役場)前がフィナーレ。
この記事へのコメント