大原のお姫様 Ⅰ 三田市
「お屋敷がんこ」がんこ三田の里は、大原城の大原上野守宗隆を先祖とする後胤のお屋敷で、約100m程南東の大歳神社背後には天神の尾城がある。更に南・お屋敷から約500m程の地点に大原氏の本拠:大原城があり
大原城主郭・東郭と三ノ丸(中央民家付近)遠望
主郭に姫山神社が祀られており、三田市の民話が収集されているが、過去の山城訪問の都度…等に花山院と一二妃・猫間中納言と母子草・十倉城異変・くわばら…欣勝寺・穴口城と姫塚・酒嫡のお水・青野城合戦…等々の伝承が残ることを紹介。
大原邸庭園大原のお姫様は「三田の民話」の一つ。文永年中(1264-75)大原・川除の地を領して、大原の里に来住した紀伊国近衛家の公家:藤原上野守宗隆<大原城を創築した築城主>には、美しいお姫さんがいた。
大原家菩提寺の青原寺大原とは武庫川を挟んだ川向こう貴志の豪族で貴志城主貴志五郎四郎の耳にも入り「是非 我が息子の嫁にもらい受けたいが…」「貴志氏のご子息は立派なお方。娘も承知するだろう」 貴志の豪族に嫁入りすることになり
大原城東郭から(中央奥)青原寺/千ヶ坂城を望む田圃「姫田」を持参した。仲睦まじく・大原と貴志の里人も以前に増して仲良くなるほどだったが不斗した事から夫婦の仲が次第に不和となり、姫様は大原へ返される事になり、持参した「姫田」も戻されが大原の田になったからには貴志の水は
貴志五郎四郎!?の標柱が立つ居館(館城跡?)貰えないので同情した大原の里人は武庫川の底に管を通して大原から水を送るようにした…此れが「姫田の送り水」の始まりだという。不幸な出来事は両里人の和をも持ち去ったようで:以後仲も悪くなっていく。大原のお姫様 Ⅱに続く
周辺地図:大原城址の主郭に姫山神社が祀られている ↓

大原城主郭・東郭と三ノ丸(中央民家付近)遠望
主郭に姫山神社が祀られており、三田市の民話が収集されているが、過去の山城訪問の都度…等に花山院と一二妃・猫間中納言と母子草・十倉城異変・くわばら…欣勝寺・穴口城と姫塚・酒嫡のお水・青野城合戦…等々の伝承が残ることを紹介。
大原邸庭園大原のお姫様は「三田の民話」の一つ。文永年中(1264-75)大原・川除の地を領して、大原の里に来住した紀伊国近衛家の公家:藤原上野守宗隆<大原城を創築した築城主>には、美しいお姫さんがいた。
大原家菩提寺の青原寺大原とは武庫川を挟んだ川向こう貴志の豪族で貴志城主貴志五郎四郎の耳にも入り「是非 我が息子の嫁にもらい受けたいが…」「貴志氏のご子息は立派なお方。娘も承知するだろう」 貴志の豪族に嫁入りすることになり
大原城東郭から(中央奥)青原寺/千ヶ坂城を望む田圃「姫田」を持参した。仲睦まじく・大原と貴志の里人も以前に増して仲良くなるほどだったが不斗した事から夫婦の仲が次第に不和となり、姫様は大原へ返される事になり、持参した「姫田」も戻されが大原の田になったからには貴志の水は
貴志五郎四郎!?の標柱が立つ居館(館城跡?)貰えないので同情した大原の里人は武庫川の底に管を通して大原から水を送るようにした…此れが「姫田の送り水」の始まりだという。不幸な出来事は両里人の和をも持ち去ったようで:以後仲も悪くなっていく。大原のお姫様 Ⅱに続く

周辺地図:大原城址の主郭に姫山神社が祀られている ↓
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