北山稲荷の狐像 丹波市

北山稲荷社に近い信号のある北山交差点の南約400m程で県道290号(稲畑柏原線)の新井小前交差点に出る。高見城城下が仁木賴章の佐野から、赤井氏配下の鴨野・新井に移った頃の高見城大手口、家臣団屋敷・東鴨野城があり、
  丹波佐吉(源照信)の狐像
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県道沿いの新井神社入口には二代目金兵衛の高燈籠が、新井神社への集落内に佐野藩(栃木県佐野市)飛び地領の大新屋(上山家)代官所【後:佐野家陣屋】がある。また県道沿い東すぐ・竹安川を渡ったところで、石匠6代目難波金兵衛石材店の看板を見る。
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丹波佐吉は現:朝来市竹田(但馬竹田城下)の産で、現:丹波市柏原町大新屋の石工・難波金兵衛(春日町野村出身:伊助)に子がなく養子として但馬より連れ帰り、金兵衛の元で石工として修行していた。読み書き等学問も大新家代官所上山孝之進に学ぶ。
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後:二代目金兵衛が生まれると、やがて大新屋を出て「旅の石工」として大阪・奈良・和歌山…と村上氏を名乗り石屋を渡り歩が、職人仲間と技を競った石の尺八を彫り、見事に鳴ったことから孝明天皇(明治天皇の父)より「日本一なり…」の賞辞を賜ります。
 
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新井の北山交差点近く北山稲荷の狐像<丹波市柏原町大新屋(おおにや)>は丹波佐吉(村上<源>照信)43歳の時・安政5年(1856)の作品。義父:初代難波金兵衛【春日町野村の産:伊助の名で遺る春日町・舟城神社の狛犬がある!?】の死後 丹波に戻っていた際の作品で、
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台座は二代目金兵衛(義継 22歳)による合作!!。その吽像の台座には日本一の名声を得て以後刻まれるようなった「石工 源照信と花押」が彫られている。北山稲荷神社の石鳥居は現:石匠6代目 難波金兵衛石材店により施行。一帯は大新屋(おおにや)と呼ぶより新井(にい)の郷が分かりやすいのかも…!!?。


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