八百比丘尼伝説 慧日寺 丹波市

人魚の肉を食べ800年以上も生きたという不老長寿の八百比丘尼の伝説は全国に同類の内容が伝承されているが、最期を武田氏館(空印寺)にある八百比丘尼入定窟(洞!?)で迎えるのが定説の様ですが、此処:慧日寺に没し遺骸が若狭常光寺に葬送され、出家のため剃髪した黒髪を埋めたという脱離塚の伝承が伝わります。
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参考比丘尼【比丘は男性なので女性出家信者。鎌倉-室町時代・尼僧として諸国を遊行した半僧半俗の女性】については養父市の比丘尼城レポート内にも記しているので割愛するが、熊野信仰を拡めるため全国を巡った熊野比丘尼が知られる。江戸中期以降・熊野信仰の衰退に、尼の姿をした私娼の代名詞となり比丘尼宿もあったという。
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先にアップしたブログ慧日寺駐車場からは屋根付き橋を渡り、杉・桧に囲まれた参道を進む。三門(山門)の手前左手に「脱離墳」と彫られた苔生す石碑が建つ。八百姫髪塔とも付記されており、若狭国:高橋長者の娘で若くして仏門に入った八百比丘尼伝説の主が此の丹波にも遺されていました。
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数ある比丘尼伝説による最終章は故郷若狭の空印寺の岩窟に入定したはずの八百姫ですが、丹波の山里慧日寺で天寿を終えたと伝えます。諸国遍歴の折に訪ねた慧日寺中興(寛永19年-慶安年間<1642-52>)の別心和尚のもとに、もう一度参じて訓を受けたいもの…と若狭を旅立ち、慧日寺に在ること数年・椿の花の咲くころ同寺で安らかに天寿を終え、其の仏心を憐れみ・遺骸を遠く若狭常光寺へ葬送したが、比丘尼が持っていた若き日に仏門に入る為剃髪した際の黒髪を慧日寺の三門前に埋めたのが八百姫髪脱離墳と伝えられます。
現地:慧日寺の案内板・山南町・文化財のすがた・丹波叢書「由緒を尋ねて」


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