八幡山段城 丹波市

京を発つ旧延喜式山陰道は丹波に入って、亀岡市から篠山市福住…丹波市へ、丹波八宿最期の佐治宿現:R427号を遠阪川沿いに辿り、遠阪峠を越え但馬朝来市和田山に至る。交通の要衝にあり山名氏支配の但馬国境の遠阪峠を背にして、
  箱堀左右の石積土橋と落差のある主郭側
画像

青垣町北東に足立氏:南に芦田氏、氷上町沼から南に赤井氏・荻野氏領とも境するが、丹波氷上郡(丹波市)に侵攻を繰り返す丹波八木城の内藤宗勝/三好氏の画策?に芦田氏・足立氏が連合して、
  登城口の八幡社
画像

黒井赤井・荻野氏と交戦した香良合戦(どちらが勝者ともいえない結果だが!!)頃までは、領地をめぐる小競り合いも・大きな戦いもなく、山々に囲まれ独立した盆地地勢内に治まっていたものか?。
  急斜面上に高い切岸の段曲輪が続く
画像

先のブログ田ノ口城から今年廃校となった遠阪小学校前に引き返し、R427号を挟む向かいの八幡神社に入る。 背後の丘陵部に八幡山段城(八幡ヶ段城)【仮称】があり、幾度か訪れているが、
  土塁曲輪から主郭側堀切(箱堀)
画像

丹波の自然・歴史にはなぜか一切触れられていない丹波市誌は論外だが旧氷上郡誌や各町史誌にも、旧氷上郡埋蔵文化財分布調査報告書・青垣町版にも見逃されている城址遺跡です。尾根が分岐する上部で東尾根を下ると、谷を隔てた松倉城の大土塁・堀切を越えて、
  主郭土塁から二重堀切を挟む土塁曲輪
画像

小さな秋葉社祠(今は基壇が遺されているだけかも?)前に降り立つ。山垣城支城として松倉城は載せてあるが、八幡山段城は、青垣町内の西倉城<仮称>や、芦田氏の東芦田城の支城群と思える瑞雲寺城穴裏峠城<共に仮称>砦群ともに知られず顧みられないまま埋もれた城砦群が丹波市他町内にも結構残存しています。
  土塁曲輪から尾根続き端の堀切
画像

土塁曲輪を挟んで箱堀と堀切により二重に尾根を断つ厳重さ!!?だが、尾根続きの遺構等探索には成果なく 城情報は過去のレポート:アンダーライン付き城名等は自サイト内のホームページやブログに直リンクしているので参考に…
   地図は凡その位置:拡大表示等で位置が変わる為…


この記事へのコメント

この記事へのトラックバック