雛めぐり 丹波市

1月始めから4月始めに掛けて全国各地で雛めぐりが開催されるようになった。10年以上前から続けられている所もあるが、契機はなんだったのだろう?…町おこし…の一環かナ?。
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小野市では好古館での展示に始まり小野商店街の店先に展示される:ひな人形を見るてまわる小野藩陣屋町町ひなめぐり)が1月下旬から3月に掛けて開催されていた。2月の雨模様で風強く寒いなか・陣屋町商店街に入ったが人通り少なく、
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ちょっと寄って見たかった「おの夢館」(市内の情報発信基地でギャラリーやカフェ”播州カフェ”もあるコミュニティ-の場)も1-2月中?は閑散期のため休業中らしく数軒・商家の入口に飾り付けられている雛壇飾りも淋しげだった。
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篠山市では「”丹波篠山”ひなまつり」が3月中旬に篠山城下や京・播磨・摂津を結ぶ丹波路の旧街道筋6-7ヶ所を会場に行なわれていた。ただ昨年のポスターに「丹波篠山で育まれた稲畑人形…」とあったが…。
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伏見人形の流れを汲む稲畑土人形(氷上町稲畑に産する赤井粘土による練人形)は弘化3年(1846)稲畑の赤井氏により創始された土人形ですが、明治以降衰微していく。現在も赤井家により伝統技術が継承されているが、
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隆盛期の江戸時代末期(1860年代)には農閑期の副業として旧氷上郡(丹波市)内以外の他所もで製作されていた。丹波市でも篠山市とほぼ同期間「かいばら雛めぐり」が実施された《-3月31日まで》。このパンフ・ポスターには”織田家ゆかりの城下町?…”と謳われているのだが…!!
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柏原藩は織田信長の弟:信包が慶長3年(1598)36000石で移封され立藩しているが三代で継嗣なく1650年廃藩となり天領(幕府領)となった。元禄8年(1695)織田信休が20000石で宇陀から移封される。城下…とはあるが一国一城令(慶長20年<1615>により丹波国では亀山城・福知山城・篠山城を除く築城は許されず、中世以来の城郭であっても陣屋とされている。
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藩邸が造営されたのは正徳4年(1714)のこと。織田家ゆかりの…とはいえ前期・後期織田家や天保(1830-)の頃・谷川陣屋を置いた柏原藩ではなく旗本織田氏の領地もある。小野市に習い・柏原藩陣屋町がスッキリしているように思えるのですが…
  鶴姫様愛用の御所人形と精巧な!?三ツ折人形…
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「かいばら雛めぐり」期間中は町内各所の商店・旧家やイベント会場【たんば黎明館・関学スタジオ・丹波新聞社】10数カ所で、雛かざり・つるし飾りが展示され、柏原藩邸には第8代藩主信敬<のぶのり>の正室となった鶴姫愛用の御所人形・三つ折れ人形が古棲家に里帰り…特別公開されていた。
 
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今も風情が残る町家・旧家の町並みを巡りながら、江戸・明治・大正・昭和へと時代を経て代々大切に受け継がれてきた雛人形たちを見て回る。ギャラリーのスタッフが自宅から持ち寄ったもの、ある商家の入口に飾られた可愛いセットは「この子の節句祝いに買い揃えたもの…」と…
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そ云えば多くの展示される雛飾り壇の前には節句祝いの子供の名や年齢・誕生日等を記した墨書が掲げてあった。豪華絢爛な雛飾りは高価でも、一般庶民にとってささやかながら無病息災・子供の幸せを願う母の愛情から生まれた吊るし雛飾りも多く、
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イベントにも”つるし飾り”講習があったり、地元幼稚園児達の作品を飾ってあるところもあった。五月人形・武者人形や種々土人形等、各家の思い入れやと歴史が詰まった“人形さま”が展示されており、 なかには趣向を凝らした展示方法か?、百人一首に興じている様子の変わり雛も見掛けた。

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