岩屋大師堂八十八所めぐり 丹波市

山南町生涯学習推進委員会による「生き甲斐づくり」等…啓発普及活動を推進・実行計画が積極的に進められてもう20年以上になる?。平成12年帰省していた際:お誘いを受け校区…の子育て会等実行委員会による”里山体験ハイキング”に参加した。
大師堂前から正面に石金山(播州境界)方面
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前年にも同企画実行されていたようだが、先にトレッキングルートを整備されていたのも…其後山南町と柏原町の住民交流ハイキングが実施されていた…が定年退職でUターンしたての10年ほど以前…自治会等に関わることもなく詳細計画等を
       大師堂から左へが順打ち巡礼道
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知ることもなかったがJR谷川駅前から石龕寺に至るトレッキングルート道標を適所に見掛けるようになった。「寺坂登山コース」とあり金屋十三塚・不動尊や金屋岩脈(流紋岩室凝灰岩)を観察しながらも、もう一つの石龕寺町石道(寺坂ルート)から奥の院に越えるのか?。
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丹波志・山南町誌に「井原北東の小山の屋敷跡」屋敷に謂れ不明…とある井原城館(仮称)に何度か訪れているが、余り気に留めていなかった「貴布禰神社ハイキングコース」がある。此れは町内小川地区の円応教から貴布禰神社-岩屋太子堂の四国八十八ヶ所のミニ霊場巡路を経て石龕寺バイパス道を辿るコースだ。
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八十八ヶ所霊場巡りの石仏群は各1ヶ所ごとに積石の石室内に祀られているが、つい2年ばかり前までは崩れて藪のなか・土砂に埋もれていたのを岩屋:奥自治会役員らにより掘り起こされ整備・完成後ハイキング等も計画実行されていた。
      以前は標識もあった愛宕山への分岐
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先述の井原城(仮称)・貴布禰神社背後の尾根続き・遠目に気になる地形(城砦遺構?)があり、其のトレース前の下見つもりで観音巡礼道を歩いてみた。その尾根を下った鞍部が村森へ越える山間の十字交差点。番外の峠の地蔵が祀られ右(東)は村森へ、左(西)へ下ると讃岐国への遍路道/三美学苑の側(そば)を抜け太子堂に出る。
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石龕寺山門(仁王門)を潜った参道左手等に移されている石仏群は三美学苑北側”岩屋字昔原(現:栗林…?)”にあったもので室町前期(応永12年<1405>)の刻銘もある町指定・県指定文化財。峠の地蔵から正面(北)巡拝路は伊予国26ヶ所・土佐国17ヶ所・阿波国23ヶ所から讃岐国への「逆打ち」遍路道で、
   稜上の峠越え十字路交差点
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途中からは石龕寺へ稜続き・愛宕山への分岐がある。愛宕信仰の祠もある筈!!?。一番札所からの「順打ち」で番号順に巡りたいが唯一大師堂に祀られるのが讃岐の善通寺(薬師如来)なので第75番が起点となる。
       右手奥一帯が「むかし原」<現:栗林>
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大師堂境内の日切地蔵・厄除大師(鐘楼状の屋根付き祠にある大きな石像)・峠の地蔵等の番外にチョッと変わった像があった。讃岐83番高松の一宮寺と休憩所(平坦地があるだけだが)の先に”烏枢沙摩(うすさま)明王像”がある。「トイレの神様」で転じて”しもの病気・安産に霊験あり”として信仰をあつめる。
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殆どの本尊如来・菩薩像に寄進施主が刻まれているが小川地区だけでなく近隣の和田・久下地区の他、柏原町・多可郡や小野市からの寄進者もみる。観音霊場巡りは常勝寺や和田の法性寺・青垣町小倉の光明廃寺裏山にもあるが岩屋大師堂は全霊場が揃い・整備されており市内でも規模がおおきい。 
     石龕寺に移された「昔原石佛群」:左端一石五輪塔は応永33年(1426)
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