石禾谷の城Ⅰ 朝来市

朝来市の勇壮な石垣の要塞を天空に映す竹田城はいまや観光の城。山城なのに歩いて登ることさえ厭う!!。まして旧山名氏・家臣太田垣氏の城跡に総石垣の新城築城の為領民に苦役を強い・新城主となった赤松氏も但馬鳥取攻めの際の
        正面に岡城・左端ピークに?比丘尼城
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責任を負わされ自刃。但馬・山陰を平定した秀吉は山名氏が家臣太田垣氏に代わったように、莫大な生野銀山の財力を手中にした…戦いの城だが町の観光パンフには要塞都市・空中都市・絶景ながら「日本の…マチュピチュ」とあった。当時:2004年HPに記事掲載の頃は未だ「天空の城」の名称は殆ど目にしていない…
 岡比丘尼城南曲輪と標柱
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雲海の画像でも有名になったが、昼頃訪れた観光客が季節や天候状況。時間帯も関係なく「雲海が見られない…」と嘆く?… 幾度となく訪城し人っ子一人いない山上(2000年3月)、其の後も雲海撮影のカメラマンが数名だけの山上城域等…遺構が荒らされ崩れ、見学順路・コースまで規制!!…今では想像もできない…。 
    石禾城(畑たか城)主郭の標柱
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円山川を渡って「新和田山トンネル」を潜る手前で現状の竹田城を南に遠望するだけでスルー。R9号は此の先「和田山トンネル」を抜け「法道寺」交差点を左折し、北近畿自動車道を望む手前の岡・法道寺集落内の岡城と法道寺城を目指すが、今回は此の二城もスキップする
   石禾(いさわ)城<畑たか城>主曲輪を捲く帯曲輪
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二つの城背後から延びる激急斜面が続く丘陵尾根筋が朝来市和田山町と養父市を境する。朝来市和田山町石禾(いさわ)谷(石和谷)には岡城・法道寺城や石禾の三城(石禾下城・石禾上城・石禾城<畑たか城>)があり、石禾三城への初訪城は10年前(2008年)・和田山町宮内から養父市上野への市境尾根を詰めて訪れた。
      北近畿豊岡自動車道と石禾城・石禾上城・右に比丘尼城
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石禾三城と東麓の岡城・法道寺城の間にも山城跡があると聞いており今回は但馬のT氏案内で訪城した。いずれも築城時期や城主等城史不詳だが岡城・法道寺城縄張りから南北朝期:石禾庄を賜った下野国の阿曽沼氏石禾三城・殊に「畑たか城」は室町中期に改修されており岩崎氏…が推定されている


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