鴨内城 Ⅲ 丹波市

鴨内城への訪問も何回目か…東斜面の谷「隠ガ谷」から鴨内城(隠れ谷砦)と仮称してきたが、町村誌や古文書の研究にと、さらに詳細・専門的に城砦遺構や城史の調査を教育委員会や専門家にお願いしたいところです。
鴨内城は教会背後の中央尾根下部…
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県道7号(丹波の森街道)で青垣町に入る町境界近く・沼地区から、県道282号が鴨内谷川沿いに山の北尾根の鴨内峠を越えて市島町側の鴨坂へ降る。鴨内地区入口の沼には沼城。城の北裾には栗栖野城が在るが、鴨内地区内には古墳が5基存在しているが、それ以外に・なんの遺構等の記載がない空白地帯。
  古墳の側から猪・鹿除フェンスの先の「隠ガ谷」へ…
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御霊古墳を探していて御霊神社跡?らしい石積み数段の平坦段や屋敷跡らしい広い平坦地形を見つけ、さらに鴨内古墳を探し寄った際にも氷上キリスト教会背後の低丘陵上に城砦遺構を見つけた。
  水濠跡?の傍の尾根末端取付点
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古墳についてのブログは以前の三田市古墳のコメント以來ブログへの掲載は避けてきた。また丹波市内古墳についても詳細な古墳ガイドサイトがあるので割愛する。鴨内城(隠ガ谷砦 仮称)をブログやホームページで紹介したのが10年前。
隠れ谷砦(仮称 2008年11月12日) / 鴨内古墳と鴨内城  
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所在位置や城砦遺構の現状は上記のブログ・ホームページの記載記事と重複するので此処での詳細は避けますが…鴨内の谷間北の丘陵尾根を越えると芦田氏本拠の青垣町東芦田。鴨内城<仮称>のほぼ真北・直線距離で約1.2kmに栗住城がある。東芦田城(芦田氏菩提寺:瑞雲寺の南約500m)がある。竪堀や帯曲輪を除けば縄張り特徴や規模が栗住城とはよく似ている。
  主郭の切岸:左の谷側に低土塁・正面に櫓台土塁
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鴨内から東へは山道が鴨内峠を市島町鴨坂へ越える。鴨坂は天正2年(1574)荻野直正に攻められ落城。その傘下に入った余田氏の領地「余田城・上鴨坂城・徳尾砦・東山城館…等」。余田氏も久下・足立・吉見氏等と同様:鎌倉時代に関東から地頭として来住。
    土塁櫓台から尾根続き堀切
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只:鴨内城は領内?監視や余田氏に対する備えというより、特異?なのは西面の要衝・氷上盆地側ではなく主郭部東の谷側端に低土塁を廻している。天正4-6年明智光秀「丹波攻略」による春日の小富士に陣を敷く軍勢・福知山方面から八日市経由で徳尾・上鴨坂を越え侵攻してくる明智勢に対する黒井荻野勢が守備する陣城?(砦)。
   土塁櫓台から主郭東面の低土塁
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鴨内城東面の隠ガ谷の谷水を引き込んでか?、谷筋と並行に丘陵裾を幅3m程・長さ30m程?の堀状窪地を見る。用水池・濠ともなった跡の様に思えるが城跡への直接取付点。大手とも思え、カーブする尾根筋の曲輪群位置は上の曲輪から横矢が掛かる!!。

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