沼城Ⅱ 丹波市

丹波市氷上町・青垣町に境する低丘陵が其の先端部を県道7号線に落とす。その先端部を北近畿自動車沼トンネルを北に抜けたところが青垣町栗栖野。トンネルで抜けず丘陵部を回り込む県道7号から望むトンネル上部の丘陵先端付近は:いかにも山城風情が感じられる山容です。
        沼城:天涯の要害切岸・虎口
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沼城の主郭部は更に尾根筋西方に位置して確認出来る位置にない。トンネル南の沼地区から絶壁・露岩を望む岩稜部も”行者道”が通じる八柱神社付近からの西口登山道付近?。何カ所か間歩(鉱口)が開く鉱山跡(蟻の巣状に一カ所から
         県道7号を望む東端トンネル上部輪郭状
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多方向に掘り下る坑道も見られる)から「行者さま」の大岩壁を経て主郭への主尾根に合流する地点も一曲輪。沼城は県道7号を足下に見る:尾根東末端部に5段程の曲輪(堀切あり)を連ね、:大手道(沼城東口登山道)を尾根筋に出ると竪土塁?を見る。東末端曲輪群との尾根分岐点でもある。
  大手稜線上の竪土塁?
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沼城は露岩部を含む細長く長大な尾根筋の頂部(瘤)ごとに4-6カ所に曲輪を置く連郭式。曲輪間が離れていても一郭のみで城砦機能をもつ設備は無さそう。主尾根筋には:「行者道」分岐までに4ヶ所ばかりの曲輪をみる…が中でも:ほぼ円形3段程・最上部幅約8m程(尾根筋西へ20m程か?・城域内一番広い)の土壇曲輪へは土塁囲みで一折れして入る虎口をもつ。 
          仕切土塁・土塁囲みの虎口(城域最大曲輪)
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沼城への登山ルート案内を訪城Webで見る限り?では荒れて廃道近くなっている南西口からの”行者道”で紹介されているので東口林道ルートからを追記しておきたい。林道は途中分岐するが、この分岐点に広い二段曲輪がある?。番所・木戸曲輪跡か?、林道分岐間から尾根に取付き(虎口?)郭に着く。
  幅狭い主郭部西先端の二曲輪
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行者道分岐の先で岩門と鎖場の岩場越える…これほどの切岸・虎口を形成する自然の要害城も少ない?。いよいよ主郭。幅2ー3mと狭い尾根の西続き左側(南)には露岩を切岸の帯曲輪、その先には切岸高い2段曲輪が現れる。此より先は単調な尾根上に浅いが土橋付・南へ落ちる片堀切りと曲輪跡らしい小場を見るだけ 
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沼城の北麓は青垣町栗住野には小室城の支城で、丹波には珍しい芦田氏一族(栗住野氏)の平城があった。館城栗住野城の詰め城とも思えたが、栗住野城の北方尾根先に西倉城(仮称・遺跡調査報告書では古墳で再調査で未確認とあった位置)を発見しており、香良合戦後に沼城を赤井・荻野氏一族に明渡し、再興成った芦田氏築城の西倉城を詰め城としたものか?。
          主郭帯曲輪
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沼城【←城史等の不明点は多いがHPを参照願います】は沼城(ぬのき)と読めば赤井氏発祥地の赤井野一帯が沼貫(ぬぬぎ)に語彙は通じる!!。共に氷上町の南端と北端に位置する水郷の地。沼城が赤井・荻野氏の持ち城となったのでは…?。尤も黒井城支城群として芦田氏が守将として拠ったとも…?


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