浄福寺砦Ⅱ 丹波市

浄福寺砦Ⅰを2010年UPしているが、明智光秀が2020年のNHK大河ドラマに採り上げられるのを機に光秀の”黒井城攻略”の陣城・向城について改めて再考察・見直しも兼ね再訪していきたい。篠山市(旧多紀郡)の八上城については国指定を受けるために城砦群等に関し詳細に調査・歴史地理的にも深く総合研究されている。八上城包囲の陣城・向城についても…丹波市の”黒井城攻略”についてはどうだろう?。
     浄福寺砦北郭
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天正3年-天正7年にかけて三次にわたる黒井城攻めに荻野・赤井方勢力の丹波の諸城はもちろん!!?・明智方(播磨の秀吉からの援軍含め)による陣城等の名や所在は、小富士山城茶臼山砦以外殆ど知られていないようだ?。丹波の城を落としたあと明智方が向城として使用した例は多いと思えるが殆どが不詳。
   浄福寺砦北郭主郭と南1曲輪
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「信長公記」による黒井城攻略には8-10数カ所の名が挙げられている(未読:江戸時代の軍記!)が城砦遺構として「丹波志」や郷土史や旧氷上郡埋蔵文化財分布調査書に記述のない丹波勢力の築いた城砦や明智勢力の付城が存在している。
光秀の”諭しの山” 伝承のみが伝わる柏原茶臼山砦を先のブログに挙げた…
  浄福寺砦南郭切岸と虎口(右端)
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石生水分れ(谷中分水界)を日本海側へ氷上から春日町の黒井盆地へ流れ出す丘陵尾根に挟まれた幅約700m程の狭い場所だけに黒井城の咽喉元に迫る攻守共に最重要地点。西に城山(横田城…東の向山連山・四の山には天ヶ嶽砦がある。共に黒井勢城砦が明智方に向城として使用されたと思えるが天正3年第一次黒井城攻めでは  
  浄福寺砦南郭西帯曲輪から斜上する上り土塁虎口?
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”石負砦”に妻木範賢・上竹田の十万寺に波多野秀治等が陣した。石負砦がどこかは不明だが、水分公園の当初は石生城としていた石生西河原城が駐屯には適所。其の近く西南位置に浄福寺砦<仮称>がある。柏原八幡の光秀本陣とされる柏原八幡宮から山際沿い・石負砦間にあり、いずれも氷上側の最前線基地。
天ヶ獄砦 山頂西側曲輪の切岸
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黒井城総攻撃が開始されると「赤井の呼び込み軍法」で知られる波多野秀治の寝返りに、明智方は惨敗・光秀が鼓峠を越えて敗走する。竹田の上十万寺こそ反撃の準備を整えていたところ。此の背後の丘陵にも城砦遺構:段宿城<仮称>がある。
カンジョウジ(横田城)から黒井盆地を挟み向山(山上に天ヶ嶽砦がある)
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浄福寺砦は水分れ公園側の鳳翔寺とは池を挟んで西南に位置し堀切・土塁を見ない?が帯曲輪や削り残しの曲輪段…が鞍部を挟んだニ方に城砦遺構がある。柏原本陣に詰める兵の駐屯地として石生西河原城ともに黒井城攻め最前線基地としても適地に思える。  
 石生西河原城の段曲輪群
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