石禾谷の城Ⅲ 畑高城 朝来市

石禾(いさわ)の三城「畑高城(石禾城)・石禾上城・石禾下城」をHP・石禾上城はブログにUPしている。和田山町岡から見て最奥のたか城(岡高城)は石禾上城を経て到達する「たか城」は岡・法道寺城・今回訪ねた岡比丘尼城からの尾根続きにあるが岡諸城との関連は薄く?、中世以降改築の”畑たか城”のままで… 
        畑高城の二重堀切
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此の切岸も曖昧な小曲輪を並べ連ねているだけの古風な二城が南北朝期:阿曽沼氏によるものかは推測の域をでないが、僅か50-80m程の至近に築かれている石禾城(畑たか城)の縄張りは大きく様相を異にする。
      帯曲輪・北曲輪と主曲輪(左に虎口)
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石禾上城から僅か7-80m程の至近距離にある畑たか城だけに同時期に築城されていった石禾古城の一つとも思えるが不詳。しかし二重堀切・竪堀・帯曲輪等遺構を備えており、其の後も修築・改修され中世戦国時代には城主を岩崎氏と推定される単郭様の城。
      主郭内3等三角点は10数年倒れたまま
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訪城を東面の岡集落から辿ったが余りの激急登!!。山上を高城と呼ぶ畑集落からが登城ルートの様。遺構現状からも竹田城方面の南面を意識した山名氏家臣団内紛時期や、秀吉「但馬攻め」を含め山名氏勢力の山城と推察する。
        主曲輪を捲く帯曲輪の切岸
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先(10年前)の訪城に比し:主曲輪(本丸)は藪化し状態が把握し辛い。石禾上城側からは北正面の帯曲輪一段上の北曲輪左手端に土塁虎口があるので、おそらく畑集落側から入城・主郭の左(西面)を北に廻り込み、此の虎口に達したものか…?。
        南尾根城域端の鞍部堀切
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