辻川山公園 神崎郡福崎町
朝来市の生野銀山から神崎郡神河町・市川町・そして此の福崎町内にも往時の痕を遺して姫路市に入り網干港へと銀の馬車道(専用道路か、高速道路の前身!!?)が通じていた。銀の馬車道については生野城や麓の口銀谷・福本陣屋(神崎町)や市川沿い国道筋谷城・飯盛山城等や、河童を見下ろす移設された巌橋・市川沿い312号から三木家住宅前は馬車道であり、熊野神社から田尻交差点付近・太尾城(姫路市)…訪城の際にも案内板や馬車道跡をみてきた。
辻川山公園の柳田国男生家(移築復元)福崎町へは登山で七種山や雪彦山を、城では恒屋城等を巡った帰路に通り過ぎるだけ。福崎IC付近から北方の神積寺へも寄ったことはあるが…通り抜けるだけだった町内に観光スポットの「もちむぎの館」や辻川山公園には伝説の河童や天狗が出現!!…、公園内には此の人抜きで神崎町を語れない…
日本民族学を開拓し確立した柳田國男の生家が此処に移築されている。公園を訪れる人達を愉しませる「河童や天狗」伝承を「民族学」観点から研究された”生みの親”的存在。福崎では駒ケ岩伝承や、丹波市にも加古川水運の本郷船座跡に尻引きマント伝説の河童がいる。
川遊びの子や水を飲みにきた馬を川に引込んで「尻こ玉」を抜いてしまうという!!。辻川公園の池の縁にいる河太郎が手の平に乗せているのが「尻こ玉」、池の中の河次郎も子を引き込もうと飛び出してくる。裏手の斜面を滑り降りる”さかさ天狗”がしっかり福崎特産の「もちむぎ」をPRして”もちむぎどらやき”を頬張る。
柳田國男を語るのに”私の家は日本一小さな家だ。この家の小ささという運命から、私の民族学への志を発したといってよい”…とはよく引用されているフレーズ!!…生家は県指定重要(民俗)文化財。東隣には柳田國男とXXX 記念館が・其の北隣には神埼郡歴史民俗資料館がある。
木造・寄棟造り・本瓦葺の擬洋風建築が建ち、片隅には白ペンキ塗りの下見板張りを背に、懐かしい赤い郵便ポストが立つ。明治19年(1886)の建築で明治29年ー大正15年(1926)に廃止されるまで神埼郡役所として使用され、昭和57年(1982)現在地に移築復元された県重要文化財。
公園の南一筋目?「もちむぎの館」の西隣に「三木家住宅」があるが築350年余、現在修復・改装中で拝観出来なかったが、三木家に預けられ其の後の柳田國男に大きな影響を与えている。三木家は英賀城主(姫路飾磨)の子孫と伝えられ、姫路藩辻川組の大庄屋を務めた御屋敷も県重要文化財。
なによりも地域への貢献度もたかく明治4年(1871)の播州一揆の襲撃を受けたが、焼き払われることはなかった様で、江戸時代当時のままの屋敷構えを知る貴重な文化遺産であり、修復後に再訪したいもの。風情ある土壁は白壁ではなく、現状のままの瓦片等が塗り込められているだろう?粗壁のままが良いのだが…。機会があれば改修完了後の公開される平日に再訪したい。
現地:案内説明を参照
辻川山公園の柳田国男生家(移築復元)福崎町へは登山で七種山や雪彦山を、城では恒屋城等を巡った帰路に通り過ぎるだけ。福崎IC付近から北方の神積寺へも寄ったことはあるが…通り抜けるだけだった町内に観光スポットの「もちむぎの館」や辻川山公園には伝説の河童や天狗が出現!!…、公園内には此の人抜きで神崎町を語れない…
日本民族学を開拓し確立した柳田國男の生家が此処に移築されている。公園を訪れる人達を愉しませる「河童や天狗」伝承を「民族学」観点から研究された”生みの親”的存在。福崎では駒ケ岩伝承や、丹波市にも加古川水運の本郷船座跡に尻引きマント伝説の河童がいる。
川遊びの子や水を飲みにきた馬を川に引込んで「尻こ玉」を抜いてしまうという!!。辻川公園の池の縁にいる河太郎が手の平に乗せているのが「尻こ玉」、池の中の河次郎も子を引き込もうと飛び出してくる。裏手の斜面を滑り降りる”さかさ天狗”がしっかり福崎特産の「もちむぎ」をPRして”もちむぎどらやき”を頬張る。
柳田國男を語るのに”私の家は日本一小さな家だ。この家の小ささという運命から、私の民族学への志を発したといってよい”…とはよく引用されているフレーズ!!…生家は県指定重要(民俗)文化財。東隣には柳田國男とXXX 記念館が・其の北隣には神埼郡歴史民俗資料館がある。
木造・寄棟造り・本瓦葺の擬洋風建築が建ち、片隅には白ペンキ塗りの下見板張りを背に、懐かしい赤い郵便ポストが立つ。明治19年(1886)の建築で明治29年ー大正15年(1926)に廃止されるまで神埼郡役所として使用され、昭和57年(1982)現在地に移築復元された県重要文化財。
公園の南一筋目?「もちむぎの館」の西隣に「三木家住宅」があるが築350年余、現在修復・改装中で拝観出来なかったが、三木家に預けられ其の後の柳田國男に大きな影響を与えている。三木家は英賀城主(姫路飾磨)の子孫と伝えられ、姫路藩辻川組の大庄屋を務めた御屋敷も県重要文化財。
なによりも地域への貢献度もたかく明治4年(1871)の播州一揆の襲撃を受けたが、焼き払われることはなかった様で、江戸時代当時のままの屋敷構えを知る貴重な文化遺産であり、修復後に再訪したいもの。風情ある土壁は白壁ではなく、現状のままの瓦片等が塗り込められているだろう?粗壁のままが良いのだが…。機会があれば改修完了後の公開される平日に再訪したい。
現地:案内説明を参照
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