香良西砦Ⅰ 丹波市

来春の大河ドラマ明智光秀の「丹波攻略」殊に兵庫丹波の八上城<篠山市>・黒井城<丹波市>)が、どのように描かれるのか気になるところだが、八上・黒井への登城者も増えてきた様ですね!!?。しかし両市共に100ヶ所ばかり点在する城砦群の殆どは、一部の熱心な山城フアン?を除き
  五台山より香良の主戦場・香良口と加古川を挟んで対岸に安全山・カヤマチ山塊
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地元にも存在を知られず埋もれ忘れ去られるのかも…一度は光秀を敗走させ「丹波の赤鬼」の異名をもつ黒井城主荻野(赤井?)悪右衛門直正は、中丹波?で守護代クラスの戦国大名だが、約20年前の弘治元年(1555)瀕死の重傷を負った香良合戦があったことを知る人は少ないかも…?。
  香良口ー岩瀧寺中間点付近より露岩の香良城と五台山
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「丹波志」「丹波戦国史」「氷上郡志」…等を参考に概要を香良城に記したが、赤井・荻野一党には波多野氏が支援?する細川晴元方 VS 芦田・足立氏の氏綱方による幕府管領で丹波守護:細川家内紛の代理戦争とも云われ、足立・芦田氏連合軍には京の三好長慶・守護代内藤氏(丹波八木城)が援軍として合流する手筈だったが?…
  氷上町側最北端の沼城の断崖上から霧深い香良口付近
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間に合わなかったのか?・三好氏の丹波攻略の謀略だったか?。三好勢は八上に侵攻したが氏綱方(芦田・足立方)を支援しての香良合戦に参軍していない?。いずれにしても敵味方共に多くの戦死者を出しながら勝敗を決しない激戦に芦田・足立連合は壊滅状態となり戦後、荻野方に降りたとも。
 以前は香良城の取付点とした毘沙門堂も2014年の大洪水に粗全壊!!?
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荻野家盟主として同族の赤井時家(後屋城主)の次男才丸(直正の幼名)を朝日城に迎えたこと、前年の天文23年(1554)荻野秋清を殺害し荻野悪右衛門直正を名乗り黒井城主となったこと対し赤井・荻野一党夫々の内部に承服できない不満・異論はあったでしょうし、旧城主荻野秋清派として新興勢力の直正に対する反対勢力も赤井・荻野一党にあったと思える。
 香良城最高所の東郭端岩座:尾根続きに西郭(主郭)・眼下に岩瀧寺入口?
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赤井氏の遠祖とされる芦田氏?や足立氏までが一方の勢力に参軍したかどうか?、起因・香良が合戦場になったこと…等々は推察にとどまり疑問も残り、詳細な調査・研究成果が待たれるが、中世城郭研究では[戎光祥出版]から”明智光秀の城郭と合戦”を発刊され丹波・篠山市内を主体の丹波攻め城砦を紹介され、丹波の城砦に詳しい高橋成計(しげかず)氏により旧氷上郡内の城砦群はじめ・此の香良合戦の新説を加えて来春にでも発刊予定(丹波新聞最近の記事)される荻野直正関連城郭のレポートを確認したいものです。 

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