兵庫南部地震25年 西宮市

平成7年(1995)1月17日:西宮市内で被災した”阪神淡路大震災”からもう25年が経過した。例年なら積雪・霜で凍てついたフロントガラスを拭き、早朝の墓参りの後、被災した西宮市の満池谷を訪れるが、今年ばかりは例外の暖冬!!?で、犠牲者追悼碑の献花に行ってきた。
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あの日は未だ明けきっていない空から冷たいものが…、気がつけば天井が抜け落ちた屋根を見上げると(身動きがとれなかった)暗い空から白いものが舞う寒い朝。例年此に時期に報じられる”阪神・淡路大震災”の名称を、私のブログでは兵庫県南部地震と銘記してきたが、今日(01/17)の某新聞等では「阪神大震災」とも…!!?。
満池谷墓地公園傍のニテコ池
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震源元の淡路の名も消え?、被害比率の低かった?(大阪<市>)と、大火災による被害の悲惨・甚大となった神戸ので表現されているよう?。震源地の淡路は勿論・被災地は明石・須磨から宝塚・伊丹・西宮・芦屋・尼崎へと兵庫南部全域に及ぶ兵庫県南部地震であった事を…
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…甲子園球場が大阪ではなく兵庫の西宮市にあることも全国区?ではまだ知名度は低いよう!!?。西宮神社も「十日戎」より福男選びに境内を走り抜ける映像だけがTVニュースで伝えられる。宝塚市は今年犠牲者追悼碑が除幕され碑文に「忘れない」と。あの震災の記憶を・教訓を風化させないためにも
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「名に拘る必要」はないが、被災地域の特定化・縮小?が、震災の記憶を・教訓を風化させないためにも”熱し易く冷め易い”実際に災害に直面しないと忘れ易いのか、反対に忘れてしまいたいと思うものなのか? 
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被災した家族・遺族の思い・其の犠牲の代償から得た教訓・ボーイスカウトの本にも記されている””を防災意識「備えよ・常に」を持ち続け、…誤解なく正確に歴史の片隅に残す事なく伝え・継承していく「ことば」の大事さをも強く感じます。例年神戸東遊園地の「集い」にもお誘いをいただいていた但馬のA氏夫妻からは、老齢で今年からは?行けそうにないとの返事…。
  1.17希望の灯り
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最期に…東遊園地の1.17希望の灯り碑文を…
震災が奪ったもの 命 仕事 団欒 街並み 思い出 …たった一秒先が予知できない人間の限界…
震災が残してくれたもの やさしさ 思いやり 絆 仲間
 この灯りは 奪われた すべてのいのちと 生き残った わたしたちの思いを むすびつなぐ

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