岩屋山「石龕寺城」Ⅰ 丹波市山南町
初冬寂景:石龕寺に”前期(佐野城)より以前に現地点に石龕寺城(石戸城・頭光嶽城・寺坂峠城<何れも仮称>の石龕寺城塞群?)等が在ったかは疑問だ築城時期・築城目的・城主等の城史は不明のため、何れも推測の域を出ない…”と記したが、此の石龕寺城(三輪城・岩屋城)とは別に、高見城(前期:佐野城)以前の
石龕寺南大門と山上の採石場跡に岩屋城(三輪城)
岩屋山石龕寺開基時(現:奥ノ院)に在った石龕寺城として補足していきたい。諄(くど)いようだが此の石龕寺城は、元弘3年(正慶2_1333)後醍醐天皇が船上山の挙兵した際、千種忠顕に従い幕府軍と戦い六波羅を攻めたが京都で破れた荻野朝忠・児島高徳・本庄氏等敗軍約3000が高山寺を城郭化して拠っ高山寺城と同様、
毘沙門堂と台風で倒壊のコウヨウザン
僧兵らが籠もる大山岳寺院だったと推察。現在:岩屋山石龕寺には天正5年(1577)明智光秀「丹波攻め」に遭い僅かに兵火を遁れた石龕寺山門(南大門:仁王門)が建つ。寛永3年(1626)石龕寺堂宇は再建中興され、荒れ果てていた茅葺き山門も解体復興し、南大門には桜材の寄木造りで彩色が施されていた仁王像(金剛力士像)は鎌倉時代:仁治3年(1242)仏師・肥後法橋定慶の作で、
国宝の金剛力士像だが腐食が進み修復後は塑像の様!!


東大寺南大門の金剛力士像に次ぐ名作とされ国指定重要文化財(昭和31.6.28)に指定されている。山門前には県指定史跡:石龕寺町石や石龕寺奥の院への案内説明板、”石龕寺 太宰春台”(1680ー1747 江戸時代中期の儒学者で荻生徂徠の弟子:長野県歌「信濃国」県偉人の一に謳われている)とある漢詩碑(宝永4年1707.3.15)が建つ。"経歴丹陽路 過来釈氏居 像霊運慶刻 字古道風書 一将巣中鳥 ……"とあり、
【要約!?】…丹波から山陽に繋がる道を辿ると、古くから栄えた仏教寺院があり、其処には仏師運慶が刻んだ仁王像・小野道風が書いたと伝える扁額がある。また一将「足利氏」が立て籠もり数多くの軍勢を制覇した……と。村上天皇(平安時代:在位:天暦-康保 946-967)の帰依厚く、村上天皇が小野道風(894-966)に命じて寺号の勅願を賜り、諸堂宇を建立したといわれます。小野道風に書かせて下賜させたと伝えられる石龕寺扁額(県指定文化財)や
”都をば 出て落ち栗の芽もあらば 世に勝ち栗とならむものかは" 丹波栗の原産地は此処:山南町岩屋と云われ大粒の代表的な「てらうち」・「ててうち栗(爪あと栗)は足利義詮の伝説としても伝えられるが、丹波栗主産地は京都丹波・三田や能勢方面に遷ってしまった。…が、てらうち・長光寺・ててうち栗は僅かながら地元(寺内栗園…等)で植栽されている。
「もみじまつり」石龕寺への足利尊氏武者行列は岩屋谷旧道の栗林を抜けていた
現地:案内板 文化財のすがた(山南町昭和59年版)等参照

石龕寺南大門と山上の採石場跡に岩屋城(三輪城)
岩屋山石龕寺開基時(現:奥ノ院)に在った石龕寺城として補足していきたい。諄(くど)いようだが此の石龕寺城は、元弘3年(正慶2_1333)後醍醐天皇が船上山の挙兵した際、千種忠顕に従い幕府軍と戦い六波羅を攻めたが京都で破れた荻野朝忠・児島高徳・本庄氏等敗軍約3000が高山寺を城郭化して拠っ高山寺城と同様、
毘沙門堂と台風で倒壊のコウヨウザン
僧兵らが籠もる大山岳寺院だったと推察。現在:岩屋山石龕寺には天正5年(1577)明智光秀「丹波攻め」に遭い僅かに兵火を遁れた石龕寺山門(南大門:仁王門)が建つ。寛永3年(1626)石龕寺堂宇は再建中興され、荒れ果てていた茅葺き山門も解体復興し、南大門には桜材の寄木造りで彩色が施されていた仁王像(金剛力士像)は鎌倉時代:仁治3年(1242)仏師・肥後法橋定慶の作で、
国宝の金剛力士像だが腐食が進み修復後は塑像の様!!



東大寺南大門の金剛力士像に次ぐ名作とされ国指定重要文化財(昭和31.6.28)に指定されている。山門前には県指定史跡:石龕寺町石や石龕寺奥の院への案内説明板、”石龕寺 太宰春台”(1680ー1747 江戸時代中期の儒学者で荻生徂徠の弟子:長野県歌「信濃国」県偉人の一に謳われている)とある漢詩碑(宝永4年1707.3.15)が建つ。"経歴丹陽路 過来釈氏居 像霊運慶刻 字古道風書 一将巣中鳥 ……"とあり、
【要約!?】…丹波から山陽に繋がる道を辿ると、古くから栄えた仏教寺院があり、其処には仏師運慶が刻んだ仁王像・小野道風が書いたと伝える扁額がある。また一将「足利氏」が立て籠もり数多くの軍勢を制覇した……と。村上天皇(平安時代:在位:天暦-康保 946-967)の帰依厚く、村上天皇が小野道風(894-966)に命じて寺号の勅願を賜り、諸堂宇を建立したといわれます。小野道風に書かせて下賜させたと伝えられる石龕寺扁額(県指定文化財)や
”都をば 出て落ち栗の芽もあらば 世に勝ち栗とならむものかは" 丹波栗の原産地は此処:山南町岩屋と云われ大粒の代表的な「てらうち」・「ててうち栗(爪あと栗)は足利義詮の伝説としても伝えられるが、丹波栗主産地は京都丹波・三田や能勢方面に遷ってしまった。…が、てらうち・長光寺・ててうち栗は僅かながら地元(寺内栗園…等)で植栽されている。
「もみじまつり」石龕寺への足利尊氏武者行列は岩屋谷旧道の栗林を抜けていた
現地:案内板 文化財のすがた(山南町昭和59年版)等参照
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