初冬寂景:石龕寺 丹波市山南町

太平記の石龕寺丹波の土豪:久下氏の遠祖久下次郎重光は治承4年(1180)源頼朝が石橋山の挙兵には1番に駆付け、源平:一ノ谷の合戦(治承寿永3年<1184>)にも参戦、戦功により頼朝より丹波栗作郷地頭職を賜り、重光の孫:直高が来住し玉巻?(金屋)を本拠とし5代:久下弥三郎時重へと継ぐ。時重の久下氏全盛期玉巻城が築城され、
足利義詮が2ヶ月余り留まった石龕寺奥の院の将軍屋敷跡   
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足利尊氏が六波羅探題を討つべく挙兵した篠村(亀岡)への参陣にも一番に応じ参軍した太平記に記される「一番」旗についての故事や、尊氏が時重に宛てた書簡(建武3年2月3日)には足利久下弥三郎殿…とも記され信頼も篤かった。正平6年(観応2年 1351)1月:京を逐われ栗作郷の久下氏を頼り丹波石龕寺に遁れた事により…?
  将軍屋敷跡から西向かいの岩屋城直登ルート尾根
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「太平記のふるさと」にもマイナスイメージ払拭からか採り上げられず、ドラマの登場人物群にさえ久下氏は見当たらない?。足利尊氏が追手の探索を振り切って隠れた足利橋の二重川の伝説や、2000余騎の兵と共に石龕寺に留まった嫡男:義詮に寺僧が差し出した栗に「勝栗」のことを思い出し
  奥の院鐘楼前からの岩屋谷(表参道)から播州境界尾根を望む
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「都をば出て落ち栗の芽もあらば 世にかち栗とならぬものかは」と詠んで、栗に爪の跡をつけ土に埋めた爪あと栗(ててうち栗)の伝承
…を残す石龕寺へは、武運を祈願する足利尊氏・義詮親子には山伏が先導・久下一族等が付き従う武者行列が続く「石龕寺もみじまつり」が太平記NHK大河ドラマ足利尊氏放映を契機に
  石龕寺表参道:山の神から久下氏の金屋境の尾根を望む
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実施・継続されてきたが第30回目を期に昨年「紅葉まつり」は終了。今年からは昔ながらの静かな…?山里風景に戻った…紅葉の山南三山・丹波紅葉三山もその見頃時期を過ぎた石龕寺道(表参道)の岩屋の里を義詮が逗留していた将軍屋敷まで歩いてみた。この将軍屋敷跡のすぐ上の峰が頭光嶽・其処から北へは岩屋城(石龕寺城)
 石龕寺もみじまつり「武者行列」最初の撮影ポイントだったところ…
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石戸山(石戸山城<仮称>)があり、頭光嶽城<仮称>の南出曲輪とも呼べそうな寺坂峠城<仮称>もある。黒井城支城の雄として荻野直正の実弟:赤井幸家の三尾城と共に、建武2年(1335)尊氏より丹波守護職に任じられた仁木頼章:応仁の乱後赤井氏の城として、最後の城主となった赤井(新五郎)忠家の高見城(佐野城)がある。
 第二の撮影ポイント!?だった仁王門から続く石畳
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岩屋城が後期:高見城塞群として存在したとは考えられる赤井氏関連の岩屋城・久下氏の頭光嶽城や寺坂峠城・石戸山城も高見城との繋ぎ城であったと推察でき玉巻城(久下氏本拠)への尾根続きにある…が、前期(佐野城)より以前に現地点に石龕寺城(・石戸城・頭光嶽城・寺坂峠城<何れも仮称>の石龕寺城塞群?)等が在ったかは疑問ですが、築城時期・築城目的・城主等の城史は不明のため、何れも推測の域を出ない…   
  毘沙門堂西隣に置かれている仏足石
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